紅葉の短歌、秋の短歌とい言えば、なんといってももみじの紅葉や、銀杏の黄色の葉を詠んだものが鮮烈な印象を持って胸に響きますね。
秋ならではの風物詩、紅葉の短歌について、紅葉、もみじばかりでなく、銀杏や山の色づきに関する短歌を、正岡子規や斎藤茂吉、長塚節、伊藤左千夫、島木赤彦、古泉千樫、中村憲吉らのアララギ派の歌人の短歌から集めてみました。
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紅葉の近代短歌
紅葉を詠んだ短歌を、正岡子規や斎藤茂吉、長塚節、伊藤左千夫、島木赤彦、古泉千樫、中村憲吉らアララギ派の歌人の短歌から集めたものを掲載します。
万葉集と古今集の時代の和歌については、
正岡子規の紅葉の短歌
宮島の紅葉が谷は秋闌(た)けて紅葉踏み分け鹿の来る見ゆ
籠にもりて柿おくりきぬ古里の高尾の楓(かえで)色づきにけん
折りてかざす紅葉の枝に雫してしぐれの雨はなほ晴れずけり
君と我二人かたらふ窓の外のもみぢの梢横日さす也
正岡子規は、結核のため、根岸庵という住まいで仰臥の生活を送りました。
後年は外に出ることができなかったため、友人は季節のものを子規に贈ることが常でした。
それから、高浜虚子が当時はめずらしかったガラス窓を、子規の部屋に入れ、庭に植えた植物の移ろいを見て折々の四季を楽しみました。
斎藤茂吉の紅葉の短歌
湯のやどのよるのねむりはもみぢ葉の夢など見つつねむりけるかも
もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり
わが庭の一木の公孫樹残りなく落葉しせれば心しづけし
わが友のいのちをはりしこの村の公孫樹(いちやう)はすでに落ちつくしたり
日もすがら夜すがら落ちし公孫樹葉はこがらし吹きてここにたまりぬ
日もすがら落ちてたまれる公孫樹葉はさ夜ふけにして音もこそせね
うつしみの吾が目のまへに黄いろなる公孫樹の落葉かぎり知られず
黄ににほひし公孫樹(いちやう)もみぢもことごとく落葉ししまへば心しづまるか
照るばかりもみぢしたりしみ山木のもろ葉のそよぐ音ぞ聞こゆる
にほいたる紅葉のいろのすがるれば 雪ふるまへの山のしづけさ
くれなゐの濃染のもみぢ遠くより 見つつ来りていま近づきぬ
かへり見る谷の紅葉の明らけく天にひびかふ山がはの鳴り
(解説記事あり)
うつそみは常なけれども山川に映ゆる紅葉をうれしみにけり
馬車とどろ角(くだ)吹き塩はらのもみづる山に分け入りにけり
おほどかに幾日ばかりかわが窓に公孫樹映りて今は散りつも
わが庭の一木の公孫樹残りなく落葉しせれば心しづけし
いくひらの公孫樹の落葉かさなりてここにしあるかたどきも知らず
斎藤茂吉の紅葉の短歌はかなり多いですね。
一つ一つ鑑賞していきたい優れた歌ばかりです。
紅葉というだけでなく、「もみぢす」「もみづ」の動詞でも、自在に使っています。
島木赤彦の紅葉の短歌
霜晴れの光に照らふ紅葉さへ心尊しあはれ古寺
くぬぎ葉のもみぢ素枯るる空さむし山の鴉の疾くし飛ぶも
一ぽんの幹をめぐりて落ちしきる 楓樹 ( かへで ) の 紅葉 ( もみぢ ) ここだくたまる
島の紅葉が谷は秋闌(た)けて紅葉(もみじ)踏み分け鹿の来る見ゆ
この谷の紅葉のなかに揺(ゆす)られて動く栗の木の見えにけるかも
この村に光輝く紅葉の坂一途に人の馬を曳きのぼる
わたる日の光寂しもおしなべて紅葉衰ふる古国原に (明日香)
谷寒み紅葉すがれし岩が根に色深みたる龍胆(りんどう)の花 (木曽)
島木赤彦の故郷、信濃は寒いところで、紅葉を楽しむというよりもむしろ、雪や霜の厳しい寒さを詠ったものが目につきます。
ここにあげた紅葉を詠んだものは、いずれも旅行中のもので、最後の歌は明日香を訪れた時のものです。
島木赤彦島木赤彦の代表作品50首 切火・氷魚・太虚集・柿蔭集
古泉千樫の紅葉の短歌
わが村の学校園の櫻紅葉うつくしくしてよき日和なり
柿もみぢ櫻もみぢのうつくしき村に帰りてすこやかにあり
墓原の朴の木の実のくれなゐに色づく見れば秋たけにけり
上二首は、帰郷の際の歌。
「櫻紅葉」、さくらもみじの意味は秋、桜の葉が紅葉することです。
古泉千樫は故郷は千葉県ですが、東京で暮らした期間が長いためか、紅葉の歌はそれほど見られないようです。
古泉千樫の短歌代表作品50首 アララギ派の歌人の抒情と平淡 歌の特徴
中村憲吉の紅葉の短歌
高尾山にわが来てさむき片すぐれ唐傘(からかさ)買ひて紅葉の下を
谷にのぞみ楓葉(もみぢ)の燃ゆる地蔵院西はゆふ日を遮る山なし
入りつ日はつひに
谷かげの紅葉のしたの片淵や瀬なみの鳴りに夕しづまりぬ(栂の尾寺)
人はみな去(い)ねよとゆふべ鐘鳴りて黄葉のたにに煙ののぼる
夕づく日眼に傷みあれ樹によれば公孫樹(いてふ)落葉の金降りやまず
燃えあがる公孫樹落葉の金色におそれて足を踏み入れずけり
うら山の時雨にもみぢ荒れながら散りみだる見ゆ手にはとれねど
山かひは時雨の晴れてゆふさむし嶺のもみぢに空の澄むいろ
中村憲吉は広島県出身、帰郷して家業を継ぎました。旅行詠も数多く詠んでいます。
「夕づく日眼に傷みあれ」というのは、憲吉らしい独特のものがあります。
中村憲吉の短歌代表作品50首 馬鈴薯の花・林泉集・しがらみ・軽雷集
伊藤左千夫の紅葉の短歌
おく山に未だ残れる一むらの梓の紅葉雲に匂へり
たづね来てふもとに宿る宵の間もなほ待れぬる峯の紅葉
もみち葉の八重かさなれる谷そこにさやかにみゆるたきつ白浪
伊藤左千夫には「紅葉」と題する文章があり、紅葉を詠んだ短歌もかなり数多くあります。
伊藤左千夫伊藤左千夫短歌代表作品30首訳付 牛飼の歌 九十九里詠 ほろびの光
長塚節の紅葉の短歌
むらどりの塒竹むら下照りてにほふ柿の木散りにけるかも
うぐひすのあかとき告げて来鳴きけむ川門の柳いまぞ散りしく
秋の田に少女子据ゑて刈るなべに櫨とぬるでと色付きにけり
馬塞垣に繩もて括る山吹のもみづる見れば春日おもほゆ
鮭網を引き干す利根の川岸にさける紅蓼葉は紅葉せり
多摩川の紅葉を見つゝ行きしかば市の瀬村は散りて久しも
こほろぎのこゝろ鳴くなべ淺茅生のどくだみの葉はもみぢしにけり
淺茅生のもみづる草にふる雨の宮もわびしも伊勢の能褒野は
曳き入れて栗毛繋げどわかぬまで櫟(くぬぎ)林はいろづきにけり
以上、近代短歌の紅葉の短歌として、アララギ派の歌人の短歌よりご紹介しました。
万葉集と百人一首の時代の紅葉の短歌はこちらの記事にありますので、合わせてご欄ください。