恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば
万葉集の代表的な女流歌人の一人、大伴坂上郎女のこの和歌は、短歌を詠まない人にも広く知られて好まれる短歌です。
大伴坂上郎女の上の歌を含む6首を鑑賞、解説します。
スポンサーリンク
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば
読み:こいこいて あえるときだに うつくしき ことつくしてよ ながとくもわば
作者
大伴坂上郎女 おおとものさかのうえのいらつめ
現代語訳
恋い焦がれてようやくお会いしたときだけでも、せめて愛しい言葉のありったけを言い尽くして聞かせてください。
二人の間が長く続くようにとお思いになるのなら
句切れと語の解説
4句切れ 倒置
・だに…副助詞《接続》体言、活用語の連体形、助詞などに付く。
〔最小限の限度〕せめて…だけでも。せめて…なりとも。
・愛しき…「うるわしき」と読ませる訳本もあるが、「うつくしき」が正しい。下に解説
・言(こと)… ことば 口に出して言うこと。言葉。
例:「泣き言」「繰り言」など
・てよ…完了の助動詞つの命令形
・思はば…条件表現 「思うならば」
読みは「思う」は「もう」と読む。
解説と鑑賞
相聞歌を収めた4巻に収録された、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌。
「大伴坂上郎女の歌6首」とした一連の相聞歌の最後の歌でもあります。
万葉の時代の”会えない”恋
万葉の時代は「恋」は思う人に逢えない苦しみを交えたものであったといいます。
今のようにスマホで連絡をとれるような状況ではありません。
恋文の”手紙”でもあった和歌
特に女性は、男性の訪れを待つのみであり、いっそう恋しい気持ちが募ったに違いありません。
その状況では、和歌は思いを伝える唯一の手段でありました。
「恋ひ恋ひて逢へる時だに」
「恋ひ恋ひて逢へる時だに」の部分の意味は
「長い間その状態ないしその動作を続け、やっと何らかの結末に到達したこと」(万葉集全注)
を表します。
「恋ひ恋ひ」の畳語
「恋ひ恋ひ」の繰り返しの部分が、時間の長さとそれに比例して堆積する思いの深さを伝えています。
逢えない間にずっと会いたいとひたすらに思っていて、ようやく逢瀬の時が訪れた――
「だに」の助詞
それだからこそとなるので、「だに」、その時だけでも、の助詞がつくのです。
この2句「恋ひ恋ひ~だに」までで、状況と心境を、上手に言い表しているといえますね。
「愛しき」の読みは「うつくしき」
万葉集の訳本では「うるわしき」となっているものがありますが、「うるわし」は、自然の情景や、儀礼的な立派さの整った美しさのことをいうので、「うつくしき」が正しいと説明されています。
「愛しき言(こと)」は、とは「親愛を示す言葉」のことですが、ここでは「言うこと」、その語りかけであり、言葉の内容よりも、「やさしくしてください」の意味合いが強いように思われます。
「尽くしてよ」の命令、「長くと思はば」には、女性の側からの率直な願いが示されており、和歌でありながら率直で口語的な訴えともなっています。
「長くと思はば」は、「二人の間が長く続くように」ということなので、おそらく、まだ結婚に至っていないとき、なかなか会えない相手に向かって、そのように問いかける歌と思われます。
娘婿にに贈った大伴坂上郎女の恋の和歌?
この頃は、男性が女性の家に通う、という形の恋愛で、結婚してからも通い婚という形態が多く、女性は男性の訪れをひたすら待つということで、つらい思いをしたのでしょう。
そのまま、相手が来なくなってしまうことも考えられるので、女性の側はさぞ心配であったと思われますが、この歌は、あまり不安を感じさせるものではなく、むしろ、このようなことを相手に言えるような仲であって、相手におねだりをしたり、甘えている様子ともとることができます。
それもそのはず、この歌は、実際には、大伴坂上郎女の娘婿になる大伴駿河麻呂 (おおとものするがまろ)が、娘に贈ったものに返歌をしたものと言われている、いわば虚構の恋歌なのです。
大伴駿河麻呂の短歌
それでは、この歌の元となる大伴駿河麻呂の短歌は、どんな和歌だったのでしょうか。
心には忘れぬものをたまさかに見ぬ日さまねく月ぞ経にける
訳:心では忘れてはいないもののたまたま逢わない日が重なって月日が経ってしまいました
相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも
訳:お逢いしてからひと月も経たないうちに恋しいと言えば、軽いとわたくしをお思いになるのでしょうか
思はぬを思ふと言はば天地の神も知らさむ邑礼左変
訳:思ってもいないのに思っていると言っても、天地の神はお見通しです
(邑礼左変は読み不詳)
駿河麻呂は、上のように送っているわけですが、坂上郎女の返歌は、この一番上の歌、それと一番下の歌にそれぞれの歌に呼応する内容となっているのでしょう。
大伴坂上郎女の返歌6首
これに対して、大伴坂上郎女が送ったものが、上の歌を含む下の6首(4-656)です。
我のみぞ君には恋ふる我が背子が恋ふと言ふは言のなぐさぞ
訳:私の方が一方的にあなたに恋しているのです。あなたが恋していると言うのは、口先だけの慰めなのですよ
思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我あが心かも
訳:思うまいと口に出して言ったのに。はねずの花の色のように変わりやすい私の心なのですね
思へどもしるしも無しと知るものを何かここだく我あが恋ひ渡る
訳:いくら恋しく思っても、何の甲斐もないと知っているのに、どうしてこれ程私はずっと恋し続けているのだろう
あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ
訳:今のうちからもう人の噂がうるさい。こんな調子だったら、あなた、この先どうなるのでしょうか
汝(なれ)と我(あ)を人ぞ離(さ)くなるいで我君(あきみ)人の中言聞きこすなゆめ
訳:あなたと私を人が引き離そうとしているようです。さあ、あなた、人の中傷には耳を貸さないでください、けっして
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば
訳:恋い焦がれてようやくお会いしたときだけでも、せめて愛しい言葉のありったけを言い尽くして聞かせてください。
二人の間が長く続くようにとお思いになるのなら
いずれもが、立派な恋歌でありながら、それ以上に、坂上郎女の優れた歌の手腕がうかがえます。
5番目の「いで」というのは、「さあ」という、相手を促す掛け声のようなものなので、全体にもこの時代の口語的、話し言葉的な感じがあり、作者も楽しんでこれらの歌を作ったのではないでしょうか。
この時代の歌のやりとり、贈答歌という習慣は興味深いものですね。いずれにせよ、受け取った駿河麻呂はたじたじとなったでしょうが、この方は晴れて坂上郎女の娘と結婚して、娘婿となっています。
案外、歌の効果があったのかもしれません。
そのようにして、娘と婿の間を取り持ったこの歌が、今の世にも伝えられるものとなって残るものとなったのは、素晴らしい恋の手腕ならぬ”和歌の腕”だったのです。