石川啄木の歌集は生涯に2冊のみ、第一歌集が『一握の砂』、第二歌集が『悲しき玩具』、生前に刊行されたのは前の歌集で、『悲しき玩具』は啄木の逝去後に刊行されました。
それぞれの歌集の内容と特徴、代表作品をあわせてお知らせします。
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石川啄木の歌集は生涯に2冊
石川啄木の短歌はたくさんの作品が愛唱されていますが、生涯に刊行された歌集は2冊しかありません。
啄木は、結核で27歳で亡くなったために、生前に刊行したのは『一握の砂』1冊のみです。
第二歌集の『悲しき玩具』は、死後に啄木の託した短歌の原稿を元に編纂されて刊行となった遺歌集です。
この記事ではそれぞれの歌集について、特徴と代表作を含めて記します。
第一歌集『一握の砂』
「一握の砂」の詳細からです。
歌集タイトル
「一握の砂」 いちあくのすな
収録された短歌作品「頬につたふ涙のごわず一握の砂をしめしし人を忘れず」からの啄木自身の命名による
発行年月日
1910年 (明治43年) 12月1日
東雲堂書店
収録短歌数
551首
「一握の砂」の序文
「藪野椋十」こと渋川玄耳が序を記した。
石川啄木自身の序文とその現代語訳は下の記事に
「一握の砂」内容
「我を愛する歌」「煙」「秋風のこころよさに」「忘れがたき人人」「手套を脱ぐ時」の五部構成
それぞれの収録歌数は
- 「我を愛する歌」151首
- 「煙」101首
- 「秋風のこころよさに」51首
- 「忘れがたき人人」133首
- 「手套を脱ぐ時」115首
『一握の砂』特徴
明治41年夏以降の歌から選ばれた。
8割以上は43年の歌で、一夜にして制作した百数十首が含まれており、歌のほとんどは回想による。
最初の章「我を愛する歌」では「おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身がなにより可愛いから歌を作る」と啄木が述べた通り、自らの来し方を振り返り、その生の悲しさをいとおしむの。
これまでの回顧と共に、挫折の体験への悲しみが目につくが、特に故郷渋民村を詠んだ清新な青春期を回顧する短歌が有名。
続く北海道の流離の思いは叙情的である。内面以外にも北海道で出会った職場の人々や、関わりのあった女性を思い出す相聞様の歌など、出会った人々が時系列に羅列される。
後半は、東京での生活歌が多数を占めるが、「これは刹那々々の生命を愛惜する心」(啄木)というコンセプトである。
総じていえば、『一握の砂』の主題は、「生の悲しさをいとおしむ」過去の回想と、「刹那々々の生命を愛惜」する目下の出来事を詠った生活歌の二つの種類に分けられる。
特異な表記法の三行書き
表記の点では、一首を三行に分ける三行書きが用いられたが、これは啄木の他には土岐哀果のみの特異なものである。
明星派の歌とへなぶり歌
もう一つの特徴は、石川啄木は、与謝野晶子・鉄幹の「明星」への投稿作品が含まれてという点で、明星派の影響を受けたものも多い。
他に「へなぶり歌」と啄木自身が呼ぶ作品群もあり、それらの多くはこの歌集には収録をされていないが、その系統の歌も見られる。
例:
「さばかりの事に死ぬるや」「さばかりの事に生くるや」止せ止せ問答
『一握の砂』短歌代表作品
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず
はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとく
これらの歌の現代語訳は
『一握の砂』石川啄木のこれだけは読んでおきたい短歌代表作8首
石川啄木第2歌集 『悲しき玩具』
ここからは第二歌集「悲しき玩具」の詳細です。
歌集タイトル
「悲しき玩具」 かなしきがんぐ
啄木が死の数日前に、友人の土岐哀果託した草稿を元に刊行。
タイトルの「悲しき玩具」は田億語句の歌論にある「歌は私の悲しい玩具である」という一節をとって、土岐哀果が命名した。
発行年月日
東雲堂書店 1912年6月20日
東雲堂書店より刊行
収録短歌数
歌数194首の他エッセイ2編
「悲しき玩具」内容
目次や章題などの分割はない
三行書き 句読点 一字下げの表記法
表記の点では、それまでの三行書きの他、句読点、後半は一字下げが用いられるようになっている。
『悲しき玩具』特徴
『一握の砂』につながる「刹那々々の生命を愛惜する」啄木の信念にもとづく生活歌が主流。
自身の病を詠んだもの、入院と医師らとのやり取り、子どもや生活の様子など身近に見聞きすることが詠み込まれている。
他には、自己をめぐる社会的な側面も主題に取り込んだところも特徴的。
啄木自身が述べたコンセプトは下の文章に詳しい。
忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。仮に現在の三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、とにかく歌といふものは滅びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那々々の生命を愛惜する心を滿足させることができる。--「歌のいろいろ」石川啄木
過去の回想については、「一握の砂」とは異なって回想歌の数は少なく、明星時代の古い短歌の影響を抜け、けれんみのない真実の啄木の心が詠まれた歌も多い。
また、病勢を詠んだものに関しては全作品の3分の1の54首見られる。
啄木自身は前向きに歌っているものもあるが、総じて哀切である。
『悲しき玩具』代表作品
呼吸すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/凩よりもさびしきその音!
眼閉づれど、/心にうかぶ何もなし。/さびしくもまた、眼をあけるかな
人間のその最大のかなしみが/これかと/ふつと目をばつぶれる
新しき明日の来るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど――
猫を飼はば、/その猫がまた争ひの種となるらむ、/かなしきわが家。
以上、石川啄木の二つの歌集『一握の砂』『悲しき玩具』についてまとめました。