大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも 柿本人麻呂「万葉集」  

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大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも 柿本人麻呂「万葉集」

2020年9月14日

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大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも

柿本人麻呂の、天皇を詠った万葉集の代表的な短歌作品の現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説します。斎藤茂吉の「万葉秀歌」の評も付記します。

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大君はかみにしませば天雲あまぐもいかづちの上にいほりせるかも

読み:おおきみは かみにしませば あまぐもの いかづちのうえに いおりせるかも

作者と出典

柿本人麻呂 万葉集3巻 235

現代語訳

わが天皇は神でいらっしゃるので、天雲の雷の上に行宮(あんぐう)をおつくりになりたもうた

 

語句と文法の解説

大君 「おおきみ」 天皇のこと
神にしませば 天皇を現人神としていう成句
天雲 「あまぐも」空の雲のこと 「天」は「空」
「いかづち」 雷のこと
「いおり」 家、建物の意味

 

品詞分解

主要な箇所2か所の品詞分解を示します。

神にしませば

・「ませ」は基本形「ます」

・「ば」順接確定条件の接続助詞  意味は「~なので」

廬せるかも

・廬に「す」(さ行変格活用の基本形)意味は「する」をつけたもの。

・「せる」はサ変動詞の連体形「し」に「あり」がついて「せり」となった「せり」の連体形

・「かも」は、詠嘆の助動詞

 

句切れと修辞について

句切れなし

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解説と鑑賞

一首の解説と鑑賞を記します。

詞書と歌の背景

「天皇(すめらみこと)、雷(いかづち)の丘に出でます時に、柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)の作る歌一首」との詞書がある。

忍壁皇子(おさかべのみこ)にたてまつった歌。

忍壁皇子は、「雷丘」(いかづちのおか)という地名のところに、仮宮を建てた。

その「雷丘」の「雷」を用いて、天の雲の間近くにしてとどろく雷のその上に座すとして天皇の現人神のイメージを増強させている。

雷丘からは実際に景色が一望できたと思われるが、それをさらに神話的な世界に拡大している。

賀茂真淵はこの手法について

丘の名によりてただに天皇のはかりがたき御いきほひを申せりけるさまは、ただ此の人の初めてするわざなり」(新採百首解)

と述べて、このような述べ方のできるのは、柿本人麻呂が最初で最後であったと述べている。

「大君は神にしませば」の成句を用いた和歌

「大君は神にしませば」の部分は、万葉集の他の歌にも繰り返し使われており、天皇を現人神としてたっとび、その威力をたたえていう成句。

他の同じ成句を用いた歌人の歌は

「大君は神にしませば赤駒のはらばふ田井京師となしつ」(巻十九・四二六〇)
「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼皇都となしつ」(同・四二六一)
「大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海をなすかも」(巻三・二四一)

がある。

柿本人麻呂作の優れている理由

これら「大君の-」で始まる他の歌に比べて、柿本人麻呂作は簡潔に天皇の威力と、その人離れした威力を述べている。

「雷の上に宮を建て、その中に大君がいる」というのは、人間離れした所作であるが、それが全くの絵空事やフィクションではなく、雷丘に実際に宮を建てていることを増強して、ドラマティックに神話的に仕立てたところが優れている。

この時代の「神話的」というのは、つまり「詩的」ということと同義と言える。

この特徴は、柿本人麻呂の歌、東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ にも見られる。

斎藤茂吉の評

斎藤茂吉は、人麻呂の他の歌もそうだが、声調の効果を下のように述べて、この歌を絶賛している。

これは供奉した人麿が、天皇の御威徳を讃仰し奉ったもので、人麿の真率な態度が、おのずからにして強く大きいこの歌調を成さしめている。雷岳は藤原宮(高市郡鴨公村高殿の伝説地)から半里ぐらいの地であるから、今の人の観念からいうと御散歩ぐらいに受取れるし、雷岳は低い丘陵であるから、この歌をば事々しい誇張だとし、或は、「歌の興」に過ぎぬと軽く見る傾向もあり、或は支那文学の影響で腕に任せて作ったのだと評する人もあるのだが、この一首の荘重な歌調は、そういう手軽な心境では決して成就し得るものでないことを知らねばならない。抒情詩としての歌の声調は、人を欺くことの出来ぬものである、争われぬものであるということを、歌を作るものは心にみ、歌を味うものは心を引締めて、覚悟すべきものである。『万葉秀歌上」

柿本人麻呂の万葉集の和歌代表作一覧

柿本人麻呂の経歴

飛鳥時代の歌人。生没年未詳。7世紀後半、持統天皇・文武天皇の両天皇に仕え、官位は低かったが宮廷詩人として活躍したと考えられる。日並皇子、高市皇子の舎人(とねり)ともいう。

「万葉集」に長歌16,短歌63首のほか「人麻呂歌集に出づ」として約370首の歌があるが、人麻呂作ではないものが含まれているものもある。長歌、短歌いずれにもすぐれた歌人として、紀貫之も古今集の仮名序にも取り上げられている。古来歌聖として仰がれている。

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