二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ 大伯皇女  

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二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ 大伯皇女

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二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ

大伯皇女(おほくのひめみこ)が、謀反の罪に問われた大津皇子を送る際に詠んだ、万葉集の代表的な短歌作品の現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説します。

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二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ

読み:ふたりいけど いきすぎがたき あきやまを いかにかきみが ひとりこゆらん

作者と出典

大伯皇女 (2-106)

現代語訳

二人で行っても行き過ぎにくい秋山を、どのようにしてあの人は一人で越えているのだろうか

 

語句と文法の解説

・ど… 逆接の確定条件を表す。…が、しかし。…けれども。

・君…ここでは、肉親の弟の大津皇子を指す

・いかにか…「どのようにして」の意味 「いか」は状態や方法に関する疑問を表す

・行き過ぎ難き…「行く+過ぎる」

・がたき…《動詞連用形に付け、形容詞を作る》 …しにくい。なかなか…できない

・越ゆらん…基本形「越ゆ」+未来の助動詞の推量の意味「らむ」

句切れについて

句切れなし




 

解説と鑑賞

一首の解説と鑑賞を記します。

大伯皇女と大津皇子

題詞に「大津皇子、ひそかに伊勢神宮に下りて上り来るときに、大伯皇女の作らす歌二首」とあり、その前の歌「わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし」と、この歌二首が並置されています。

わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし

二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ

大伯皇女は、大津皇子の姉の皇女。大津皇子は同母の弟です。

大津皇子の「大津事件」

大津皇子は天皇の崩御の25日後に、謀反の罪でとらえられて、翌日に自害したとされています。

万葉集の解説では、

大津皇子はその多才、奔放な性格をこころよく思わない持統天皇の謀略に陥って処刑された

となっています。

歌の詠み手である、姉の大伯皇女は、伊勢斎宮で二六歳、大津皇子は自分が謀反の罪でとらえられるかもしれないと思い、その姉を訪ねて、伊勢神宮を訪問。

別れて見送る際に、姉である大伯皇女が詠ったのが、上の歌です。

前の歌「わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし」は、おそらくは家の前での別れの場面、ここでは、大津皇子と大伯皇女が二人でいる場面です。

こちらの歌は、その先の未来の場面を大伯皇女が詠んでいます。大津皇子のその後の旅路を大伯皇女が、心に案じる内容となっています。

「二人行けど」に込められた心情

最初の歌の場面では「二人」の単位であるものが、離れ離れになってしまう、それを受けて、二首目の歌は、「二人行けど」の逆説で始まります。

二人で行きたいが行けない、その悲傷がこの部分にこめられます。

「いかにか」の意味

「いかにか」は、山越えをどうやってか越える、その疑問ですが、単なる山越えの難しさではなく、謀反で訴えられる弟の心情とその出来事とが含まれます。

今回の、対処が難しい疑いの件を弟は、どうやってか立ち向かい、晴らすことができるだろうか。それが「行き過ぎ難き」山越えと重なっているのです。

万葉集の悲劇となる「大津事件」

「秋山」には死や冥界のイメージがあるという説もありますが、それほどでなくても、「夏山」や「春山」との違いは受け取れます。

また、この事件では、大津皇子だけではなく、その死を知って駆け付けた妻もその場で殉死しており、万葉集の悲劇の一つとして長く語り継がれるものとなっています。

 

万葉集解説のベストセラー

万葉集解説の本で、一番売れているのが、斎藤茂吉の「万葉秀歌」です。有名な歌、すぐれた歌の解説がコンパクトに記されています。




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