「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」
二・二六事件は、2月26日に起きたクーデター未遂事件です。
歌人の斎藤史は、軍人であった父斎藤劉と幼馴染が関わったという立場で、この事件を歌に詠みました。
きょうの日めくり短歌は、二・二六事件に関する短歌を集めておきます。
二・二六事件とは
1936年(昭和11年)1936年(昭和11年)に青年将校らが1483名の下士官兵を率い、クーデターを企てました。
対立していた統制派の打倒と国家改造が目的でしたが、首相官邸等を襲撃、内大臣・大蔵大臣等らが殺害されました。
軍部の鎮圧により、永田町の占拠は解かれましたが、結局、将校の2名が自決して、クーデターは未遂に終わりました。。
多くの歌人が、この事件を歌に詠んでいますが、一番はやはり、父と友人が加わった斎藤史の短歌がよく知られています。
動乱の春の盛りに見し花ほど すさまじきものは無かりしごとし
作者:斎藤史
この歌には、「二月二六日、事あり、友等、父、その事に関わる。」との詞書があります。
一連の他の歌
たふれたるけものの骨の朽ちる夜も呼吸(いき)づまるばかり花ちりつづく
クーデターは結局失敗に終わりました。その日のうちに自決の報は伝わったのでしょう。
暴力のかくうつくしき世に住みて ひねもすうたふわが子守うた
一連の代表作といわれる歌。
他の歌も合わせて「花」や「うつくしき」の言葉が連ねられ、耽美的な印象を受けます。
濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
このとき、斎藤史は27歳。どんなにか心細い一夜であったことでしょう。
身内が関わったとしてもっとも影響を受けた斎藤史は、このあとも事件をしばしば歌い、歌人としての一生の主題となったと言われています。
号外は 「死刑」報ぜり しかれども行くもろつびと ただにひそけし
作者:斎藤茂吉 『暁紅』
死刑の号外が出ている街、そして人々もひっそりとしているその様子です。
斎藤茂吉は、積極的にこの事件を詠むことを避けたようです。
それ以前の、内閣総理大臣犬養毅が殺害された昭和7年の5.15事件に関しては、以下の歌はよく知られています。
おほっぴらに軍服を着て侵入し来たるものを何とおもはねばならぬか
卑怯なるテロリズムは老人の首相の面部にピストルを打つ
銃殺の刑了(おわ)りたりほとほとに言絶えにつつ夕飯を我は
作者:北原白秋
「言絶ゆ」は言葉がないこと。下句のたどたどしさが、まさにその心境を表現しています。
一連の歌
以下に再度歌集から転載します。
・昭和十一年 二月廿六日、事あり。友等、父、その事に関る。
羊歯(しだ)のの林に友ら倒れて幾世経ぬ視界を覆ふしだの葉の色
・同廿九日、父叛乱幇助の故を以て衛戍刑務所に拘置せらる。
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
・七月十二日、処刑帰土。わが友らが父と、わが父とは旧友なり。わが友らと我とも幼時より共に学び遊び、廿年の友情最後まで変はらざりき。
あかつきのどよみに答へ嘯(うそぶ)きし天(あめ)のけものら須臾(しゆゆ)にして消ゆ
額(ぬか)の真中(まなか)に弾丸(たま)をうけたるおもかげの立居(たちゐ)に憑(つ)きて夏のおどろや
ひそやかに訣別(わかれ)の言の伝はりし頃はうつつの人ならざりし
いのち断たるるおのれは言はずことづては虹より彩(あや)にやさしかりにき
たふれたるけものの骨の朽ちる夜も呼吸(いき)づまるばかり花散りつづく
まことしやかに寂(しづ)かなる相(さま)もよそほへよ強ひらるれば針に蝶も刺す
天地(あめつち)にただ一つなる願ひさへ口封じられて死なしめにけり
・一月十八日父禁錮五年の判決を受く。官位勲功其他の一切を失ひ、軍人三十年の足跡を消したるなり。
何気なく我等居りけりこの父の青き獄衣は眼に入らぬごとく
きょうの日めくり短歌は、「二・二六事件の日」にちなみ、事件を詠んだ短歌をご紹介しました。
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