桃の短歌 水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う 俵万智 東直子 斎藤茂吉他  

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桃の短歌 水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う 俵万智 東直子 斎藤茂吉他

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テーマ別短歌、今日は、今の季節においしい桃の短歌をお伝えします。

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桃の短歌

ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり  斎藤茂吉 『白桃』

意味:
たったひとつ惜しんで取っておいた白桃の豊かな果実を私は食べ終わってしまったよ

おそらくもっとも有名ながこちらの短歌。「ゆたけき」は、「豊か」のことです。
桃の形、そして、香りまでもが伝わってくるような内容です。

「白桃」は「しろもも」と読みます。そのような作者の意向です。
また『白桃』は斎藤茂吉の歌集の題名にもなっています。

この歌のもっと詳しい解説は
ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり 斎藤茂吉短歌代表作『白桃』

 

桃の木はいのりの如く葉を垂れて輝く庭にみゆる折ふし 佐藤佐太郎『帰潮』

こちらは果実の桃ではなく、桃の木の葉の有様を詠んだもの。
梅の花も桃の花も似てはいますが、葉には明らかに違いがあります。
佐藤佐太郎の戦後を代表する歌集『帰潮』のよく知られた歌。

「桃の木は夏日にみな葉を垂れている。暑さに萎えたようでもあるが、それを私は敬虔な形とみたのであった」(『短歌を作るこころ』)が佐太郎の自註です。

 

老夫と吾とが人を待つひまも二つの桃をてらすともしび 津田治子

「ひま」とは「間」のこと。人が来たら桃を供そうと思って待っている。
作者はハンセン病の施設に居たので、果物は貴重品であり、客に出そうと置いてあるのでしょう。
その桃に明かりが当たり、クローズアップがなされています。

関連記事:
津田治子の生涯と短歌「歌人・津田治子」〜米田 利昭

 

柔毛(にこげ)立ちて露のひかれる熟桃(うれもも)をもぎてあたへむ子のわれになし 伊藤保

上の津田治子と同じハンセン病で療養所に住んだこの歌人は、妻が堕胎を余儀なくされます。当時のハンセン病者は子供を持つことが許されませんでした。
「子があったら桃を与えるのに」という痛切な思いが詠まれています。

関連記事:
強制不妊手術の報道に思い出すハンセン病の歌人伊藤保の短歌 歌集『迎日』より

現代短歌の桃の歌

ここからは現代短歌の作品をあげます。

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 東直子

新聞紙の上か、その近くで桃の皮をむいていると、その汁がしたたって、新聞紙をぬらす。 そこに「廃村」に関わる記事が掲載されており、そのイメージに連なるかのように、「村」が水分で消えるようにぼかされていく。 この作者の歌にしては、時事的な暗いトーンの作品です。

 

水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う 俵万智

性愛の喜びを詠い、よく知られた有名な歌です。ただの喜びだけではなく、性愛の喜びを通して、人は自らのアイデンティティーを肯定し、深めていくことができる、その事実にも気づかされます。

 

桃の皮をつめたててむく 憂鬱を ひとさしゆびと親指で剥ぐ 沖ななも『ふたりごころ』

刃物を使わずに、よく売れた桃を爪で向いていく。それが、どこか憂鬱というものをはがしていくかのように。

ということで、桃というモチーフには、どこかほのぼのとした明るいものが多いのですが、この「桃」の歌はブルーな感情が主題となっています。

 

独り居の夜の深さよ蝉の真似してから桃を食べはじめたり  栗木京子『けむり水晶』

家族が留守をして、ひとりきりなので、勝手が違う。寂しいというほどではないのでしょうが、うと蝉の鳴き声を口ずさんで、昆虫が蜜を吸うように桃を食べる。
言葉を交わす相手がおらず、言葉を使わない時は、人は人ではないものになるのかもしれません。

 

桃の蜜てのひらのみえぬ傷に沁む若き日はいついかに終らむ 米川千嘉子『夏空の櫂』

作者が若い頃に詠まれた歌ですが、その頃は、若さを持て余すようなときがあったのかもしれません。また、若いときには感受性が強い面があり、蜜のような甘いものですら傷に沁みるというのは、この年代の独特の感じ方でしょう。

 

まとめ

今回は限局的に「桃」に限った短歌を集めてみました。

おいしく召し上がりながら、ぜひ歌にも詠んでみてくださいね。




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