万葉集

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひめやも/大海人皇子

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紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひめやも 額田王との問答の答えとして詠まれた大海人皇子の万葉集の有名な和歌です。

意味は、「紫草の匂いたつような美しいあなたを憎いと思うならば、人妻であるのに私恋い焦がれたりするものでしょうか」。

この記事では、「蒲生野問答歌」の二首のうち、大海人皇子の短歌を鑑賞、解説します。

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額田王の蒲生野問答歌

天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時に、額田王の作る歌

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (1-20)

皇太子の答ふる御歌

紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも (1-21)

この有名な短歌は、「蒲生野(がもうの)問答歌」と呼ばれ、大海人皇子(おおあまのみこ)の短歌と対として鑑賞されるものです。

額田王(ぬかたのおおきみ)の歌の中でも、もっともよく知られる、万葉集の代表歌のひとつです。

この記事では、大海人皇子の返答の歌について解説・鑑賞します。

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紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも

読み:むらさきの にほえるいもを にくくあらば ひとづまゆえに あれこいめやも

作者

大海人皇子(おおあまのみこ) 万葉集1-21

現代語訳

あの紫草のように匂いたつような美しいあなたを憎いと思うならば、人妻であるのに私がこんな風に袖を振るほど、恋い焦がれたりするものでしょうか

語句と文法の解説

語句と文法の解説です。

紫草

問答歌の最初の歌、額田王の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の「紫野」を受けている。

紫は古代、高貴な色とされ、染料を取るのが紫草として珍重されていた。

にほへる

基本形「におふ」の連体形。意味は、「花が美しく咲いている」ところから、「美しさがあふれている。美しさが輝いている」の意。

読みは「いも」。男が女を親しんでいう語。主として妻・恋人をさす

「にくくあらば」の品詞分解

「あら」は「あり」の未然形。

「ば」は順接の仮定条件。意味「…たら。…なら。…ならば」

ゆゑに

「なのに」の逆説的な意味。「人妻であるのに」

「恋ひめやも」の品詞分解

「恋ふ+め+や+も」

意味は「することがあろうか、いやそんなことはない。 どうして…でなどあろうか。」

  • 「恋ひ」は動詞「恋ふ」の連用形
  • 「め」は、推量の助動詞「む」の已然形
  • 「や」は反語の意を表わす係助詞 「…めや」は、反語表現
  • 「も」は詠嘆を表わす係助詞

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解説と鑑賞

このうたの解説と鑑賞です。

歌の成立の背景

春になって、宮廷の皆が、年中行事である狩りに出かけたその後の宴会で、額田王の問いかけの歌に、大海人皇子が答えた歌。

「野守は見ずや君が袖ふる」の「君」が大海人皇子であり、額田王は舞を舞いながら、大海人皇子の方に向かってこの歌を歌いかけたものであろう。

さらに、自分で大海人皇子に成り代わって、額田自身が舞いながら、その袖を振って見せたのではないかと思われる。

皇子は実際に狩りの場で袖を振ったわけではないが、額田の仕草で自分に向けられた「歌」であることがわかり、その余興に答えて、当意即妙の歌を詠んだものとして名高い。

額田王は兄の天智天皇の妻

大海人皇子は、額田王がずっと若いころに男女の契りを結んだ中で、娘である十市姫皇女(とをちのひめみこ)が生まれた。

その後は、大海人皇子の兄である、天智天皇のお妃(きさき)となったという。

そのような周知の関係が、問答の背景にある。もちろんこれらの歌は、歌や踊りを含む、宴会の出席者の前で交わされたもので、二人がひそかに交し合ったというものではない。

またこれらの歌は、万葉集の巻一、晴れの場や儀礼の場での歌を集めた巻に記録されている。

さらに詳しく歌の解説

「紫草の」は、額田の「紫野行き」に対応、「君」に対応するのは「妹」。

「憎くあらば」という仮定を先に置きながら、結句に「恋う」という反転があるのは、元の歌の制止(「野守は見ずや」)から情愛「君が袖ふる」の転換に対応すると思われる。

「野守は見ずや」の制止は、額田が兄の天智天皇の妻であるからだということを、皇子が踏まえて、「人妻なのに」と入れている。

結句の「めやも」は、「恋ふ」をさらに強めた反語の言い方で、制止やタブーを乗り越える理由を「にほえる妹」、つまり、額田という対象の魅力を上句にまず先に述べることによって、納得できるものとしている。

皇子の歌は、制止を示しながらも誘うという女性特有の素振りを示す額田の歌に対して、歌の中の制止を「人妻」という禁忌として顕在化させ強めた上で、「恋う」として二つの歌の着地するところを明快にさせている。

額田の歌は、主語は「君」や「野守」であり、視線もまた自分のものではなく、それに代わる「野守」の視線として、婉曲的に心情を示している。

額田の歌の性格が、きわめて女性的であると言える一方で、禁忌を取り払って恋を告げる皇子の歌は直線的で力強く、男女の差をも対比させるもので、一連二首の問答歌の着地点を明快に示している。

当意即妙の見事な応答の歌として名高いのは、最初の額田王の歌の要素に対して、はっきりとした呼応があるためだろう。

厳密には、一種のパフォーマンスで、恋愛の歌ではないのだが、両者とも男女の機微を見事に表し、またそれに応える一対の歌として長らく鑑賞される代表作となっている。







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