人もをし人も恨めしあじきなく世を思ふゆえに物思ふ身は 後鳥羽院の百人一首の和歌です
後鳥羽院は承久の乱後、隠岐の島に流され19年をその地で過ごしました。
この歌の現代語訳と、文法や語の意味を含めて、解説・鑑賞します。
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人もをし人も恨めしあじきなく世を思ふゆえに物思ふ身は
読み:ひともおし ひともうらめし あじきなく よをおもうふえに ものおもうみは
作者と出典
後鳥羽院
百人一首 99 『続後撰集』雑・1199
現代語訳と意味
人間がいとおしくも恨めしくも思われる。この世はどうにもならないものであるがゆえに、物思いをする私であるよ
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語句と文法
・をし…形容詞 基本形「をす」 字は「愛し」で「いとしい。かわいい」の意味。「惜しい」の意味もある
・うらめし… 形容詞 「残念で悲しく思われる。うらめしい」の意味
・あじきなく…基本形「あじきなし」 意味は「思うようにならない」
・世を思ふ…この「思う」は
・物思ふ…「思い煩う・悩む」の意味
表現技法
・4句に字余り
・「もの思う身は」の「身」が主語で倒置
・「人もをし人も恨めし」は対句
・初句切れ 二句切れ
解説と鑑賞
百人一首99番目の後鳥羽院の有名な歌。
君主の嘆きを詠んだ歌です。
思い通りにはいかない世、そして、周囲の人々への恨めしい気持ち。
これは、当時の政治情勢と自らの立場にある悩みを表しています。
鎌倉幕府と、院の居る朝廷の対立が激しくなっていました。
そして、その9年後、院は承久の乱を起こして、幕府を倒そうとしたのです。
承久の乱と後鳥羽天皇のその後
しかし、承久の乱で、後鳥羽院は、北条氏の討伐に失敗、隠岐の島に流刑となり、そこで19年を過ごしました。
この時の歌「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」にみられる天皇の置かれた境涯には哀れさが募りますが、後鳥羽院はこの地での19年の間にも、たくさんの歌を詠み、歌合と呼ばれる歌の会も催しました。
また、島人達にも慕われたと言われています。
後鳥羽院について
鎌倉時代の第82代天皇。1180~1239年 在位1183-98。
詩歌・書画にの他、特に歌道に優れ、和歌所を設置し、歌合も盛んに催し、藤原定家らに「新古今和歌集」を作らせた。
後鳥羽院の他の歌
み吉野の高嶺の桜散りにけりあらしも白き春のあけぼの
奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人にしらせむ
我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
命あれば茅が軒端の月もみつ知らぬは人の行くすえの空
深緑あらそひかねていかならむ間なくしぐれのふるの神杉
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