『百人一首』を作った人はこれまで藤原定家とされてきましたが、現在では別な人が作ったという説が出てきています。
『百人一首』を作った人は誰なのか「百人一首 編纂がひらく小宇宙」田渕句美子著からまとめます。
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百人一首とは
今でもよく知られている歌がるたとしての『百人一首』は、元々は和歌を百首、またはそれ以外の数で集めた和歌集全般のことを指す言葉です。
他にもたくさんある百人一首と区別するため、「小倉百人一首」と呼ばれている有名な百人一首は、鎌倉時代に編纂、成立したものとされています。
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百人一首が作られた理由
百人一首が作られた理由は、山荘の屏風絵として飾るため、山荘の持ち主である宇都宮頼綱が、当時の有名な歌人である藤原定家に編纂を依頼したためです。
宇都宮頼綱、出家後の名前蓮生(れんしょう)は藤原定家から見て、舅に当たる続柄でした。
この山荘があった地名が小倉であったため、この百人一首は「小倉百人一首」と呼ばれて他の百人一首と区別されるところとなっています。
なお「小倉百人一首」と呼ばれるようになったのは、江戸時代以降のことです。
百人一首を作った人は
これまでこの小倉百人一首を作った人は、藤原定家であるといわれてきました。
もちろん、藤原定家自身の日記「明月記」には百人一首に関する記載も見られるため、定家が作ったことは間違いありません。
ただし、それは今の百人一首の原型となる『百人秀歌』と呼ばれる百首選であり、百人一首はその後、誰か他の人物が『百人秀歌』を編纂し直して成立したという説が書籍化されました。
この説は、これまでも研究者の間で議論が重ねられてきていましたが、本に記したのは早稲田大学教授の田淵句美子氏です。
そもそもこれまでは百人一首に関する研究がそれほど進められてきていなかったので、ここへきて様々に研究が進んだということのようです。
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『百人一首』と『百人秀歌』
それによると、これまでは『百人秀歌』と『百人一首』の二つの百首選とされたものがあり、含まれている歌がほとんど同じなので、どちらも藤原定家選とされてきた。
しかし、選ばれた歌と編纂の違いから、作った人、つまり編纂者は前者は藤原定家だが、後者『百人一首』は、違い人物は藤原定家の『百人秀歌』を元に定家没後に改編、元の『百人秀歌』の編纂をし直して成立した、というのがもっとも大切なところです。
『百人一首』の作者が藤原定家でない理由
『百人一首』の作者が藤原定家でないとする大きな理由は、大まかにまとめると下のようになります。
- 百人一首を依頼した宇都宮頼綱に送るにはふさわしくない後鳥羽院の歌が含まれている
- 後鳥羽院」は没後の名前(諡号)で書かれているが定家が生きているときにはこの呼び名はない
- 『百人一首』と『百人秀歌』に選ばれた歌に大きな違いがある
- 『百人一首』と『百人秀歌』は和歌の配列がかなり異なっており、配列に編纂者の意図の違いがみられる
『百人一首』の選ばれた歌の違い
このうち、上記の『百人一首』と『百人秀歌』に選ばれた歌の違いは、百人一首の最後に当たる歌二首です。
人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆえにもの思う身は 後鳥羽院御製
ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり 順徳院御製
※歌の解説は
人もをし人も恨めしあじきなく世を思ふゆえに物思ふ身は 後鳥羽院
贈呈にふさわしくない和歌
この二首は現在も百人一首を代表とするような有名な歌でありながら、藤原定家選と確定している『百人秀歌』にはこの歌がありません。
さらに、当時の政権を握っていた北条氏と縁続きでゆかりの深い蓮生(出家後の宇都宮頼綱の名前)に贈るには、承久の乱、いわばクーデターを企てて沖ノ島に流された後鳥羽院と、同じく承久の乱に関わり佐渡に流され、「昔の宮廷時代はよかった」と詠む順徳院の歌はふさわしくありません。
優れた歌人でありながら当時の政治の中枢にいた藤原定家がこれらの歌を、舅の依頼に応じた贈呈品の百首選に選ぶことはないというのが、藤原定家ではないという決め手となったのです。
百人一首の本当の作者
百人一首の本当の作者はというと、藤原定家でなく、定家の没後であることはわかったものの、誰かということははっきりしていません。
歌人の名前に誤りがみられることや、その書き方などから消去法で編纂者が検証され、時代が推測できるという研究の途上にあります。
現時点として可能性が高いとして名前の挙がっているのが、南北朝時代の歌人頓阿(とんあ)ですが、まだ決定するには至っていないようです。
※頓阿の歌については
百人一首の作者に関するまとめ
百人一首の作者が誰かということが、大きなテーマであるのはもちろんですが、それに関する研究や考察の過程はかなりおもしろいものがあります。
この記事では取り上げませんが、特に作者がわからない百人一首ならではの工夫も見られており、同本では編纂者というもののあり方や意味、また藤原定家の編纂者としての素晴らしさも余さず伝えられています。
和歌の解説書ではないので、中級者向けですが、ぜひお手に取って読んでいただきたい本です。
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