ああ阜月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟 与謝野晶子  

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ああ阜月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟 与謝野晶子

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ああ阜月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟 作者与謝野晶子が夫鉄幹と共にフランスに滞在した時の作品。

与謝野晶子の短歌代表作の中でも、有名な歌の現代語訳と解説鑑賞を記します。

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ああ阜月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟こくりこわれも雛罌粟こくりこ

読み:ああさつき ふらんすののは ひのいろす きみもこくりこ われもこくりこ

一首の意味

ああうるわしい五月、フランスの野原は咲き盛るひなげしの花で一面火が燃え立つように赤い。今やあなたもフランスの地に立つ一本のひなげし、わたしくもまた

 

 

解説と鑑賞

この歌の解説と「初句切れ、三句切れ、反復法、体言止め」などの修辞法についてと鑑賞します。

フランスを訪れた与謝野晶子と鉄幹

与謝野晶子は、明治44年夫与謝野鉄幹と共にフランスを訪れています。

鉄幹は半年前に渡欧。与謝野晶子は子だくさんで仕事もたくさん抱えていましたが、何とか算段をつけて、鉄幹の後を追ってフランスに渡りました。

海外に行くということが今ほど一般的ではなかったことですので、感激もひとしおだったことでしょう。

また、初めての海外旅行で、現地で無事夫に会って安心するとともに、海外で見る夫の姿に新たな感慨も生まれたことでしょう。

冒頭に「ああ」とつくところはそれらの感慨を表しています。

この「ああ」は「皐月」だけにかかるわけではなく、むしろ2句の「仏蘭西の野は火の色す」も含めて、一首の最後まで通底すると思われます。

「雛罌粟」はひなげしの花

現地では、ひなげしが一面フランスの野を埋めて咲いている風景に出会います。

「雛罌粟」というのは「ひなげし」、別名ポピーのこと

「なんとまあ、5月のフランスの野原は一面火が燃えているように赤い」という、鮮烈な印象をそのままに詠んでいます。

そして、そのあとに、今やまぎれもないフランスの地に立つ夫と自分をひなげしに重ね合わせている、それが「君も雛罌粟われも雛罌粟」です。

「雛罌粟(こくりこ)」の反復の効果

この歌の優れたところはなんといっても、後半、下句の「雛罌粟(こくりこ)」の音の繰り返しにあります。

フランス語では、coquelicot、「コクリコ」で、与謝野晶子は、フランスの景色はもちろんのこと、「コクリコ」の音をフランス語の発音のまま歌に取り入れています。

日本語の「ひなげし」とするよりも、カ行の音を3つ含む外来語は、音そのものがエッジが立っています。

さらに、それを「雛罌粟」の画数の多い漢字としているので、文字で見る場合も印象的に深いものとなります。

句切れについて

初句が「ああ皐月」の詠嘆で始まります。

句切れについては、3句切れなのは間違いないのですが、ここも初句切れとして、一度切って読みたいところです。

この初句それ自体の調子は、たいへん強いものです。「ああ」の詠嘆は先に言いましたが、「皐月」(さつき)の音には、下句の「こくりこ」に通じる、カ行の音が2つ含まれれています。

「火の色す」に鮮烈な印象

続く鮮烈な印象の「火の色す」には、今度は意味上の強さがあります。

これらの強さに対抗する句を下に持ってこないと、尻すぼみの歌となります。

そのように後半がつまらなくなるとバランスが取れません。

しかし、「君も雛罌粟われも雛罌粟」という「コクリコ」のエッジの立った強い音、そしてさらにそれを対句にして反復させることで、上句と下句の重みが同じになります。

上は意味、下は意味よりもむしろ音にウエイトがあり、それらを組み合わせることで、歌の要素は一層複雑になります。

このような短歌の技法と技術は大変優れたものだと思われます。

「君も雛罌粟われも雛罌粟」の意味

そもそも「君も雛罌粟われも雛罌粟」には、意味はさほどありません。

意味がないどころか、ここだけを現代語訳にすると「あなたもひなげし」だけでは何のことだからわからない、訳しようもない不思議な文です。

それでいて「コクリコ」音が強く、意味の薄い舌足らずな感じ、それと4句と結句の体言止めで止めるという修辞法が、逆に作者の言葉を越える感激を伝えるものとなっています。

初句の「ああ皐月」で感情のボルテージは既に最大限となっているわけですが、それが保たれたままの調子で完結するのは、繰り返しの結句に「です・ます」のような余計なものがないからです。

あるいは、もし下句が、一面に花が咲いているという意味で、「あちらに雛罌粟こちらも雛罌粟」だったとしたらどうでしょう。

花がたくさんあるのは伝えられますし、文章としての意味はこちらの方が取りやすいものとなります。

しかし、それらの花が傍観ではなく、自分たちそのものである「君も雛罌粟われも雛罌粟」とすることで、ぐっと作者に引き付けたものとなります。

下句が「強い」のは、雛罌粟の音と共に、その反復、そして「私がコクリコ」とするシュールで不思議な詩的な感覚とその意味です。

これがいわゆる「詩の言葉」です。意味は二の次、というより、これが「詩の意味」であり、詩文では優先されるべきであり、この歌の優れた点と言えましょう。

与謝野晶子について

与謝野晶子(よさのあきこ)1878~1942年

近代歌壇を代表する歌人。大阪生、22歳で上京。大阪生。「明星」の主宰者与謝野鉄幹と結婚。『みだれ髪』を刊行。積極的な人間性賛美の声を艶麗大胆に歌い、「明星」の浪漫主義短歌の指標となる。源氏物語の現代語訳もある。

 




-与謝野晶子

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