一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき 寺山修司  

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一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき 寺山修司

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一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

寺山修司の世に出た最初の一連のもっとも冒頭に置かれた作品です。

きょうの日めくり短歌は、向日葵の短歌として、寺山修司の短歌をご紹介します。

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一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

作者は寺山修司。「空には本」「チェホフ祭」より

 

夏の花として、いちばんに思い出されるのは、向日葵の花です。

今日は向日葵の短歌の代表作として、寺山修司の作品を取り上げます。

短歌研究賞を受賞した寺山修司

この歌は、寺山修司が「短歌研究」の二回五十首詠に応募の際、冒頭に置いた作品です。

その全作品はこちら
寺山修司「チェホフ祭」50首詠「短歌研究」第2回新人賞受賞作品

寺山修司は短歌研究の第一回の中条ふみ子の作品に触発されて、自分も「短歌研究」に応募、当時の編集長であった中井英夫に見出されました。

その時の原題は「父還せ」であったのを、中井英夫は「チェホフ祭」と改めました。

また、そのあとの「アカハタ」や「小林多喜二」、「コミニスト」の出てくる4首は削ったものの、冒頭の掲出歌はこのままに掲載されました。

向日葵の種の喩

最初に夏の花である向日葵の短歌、ということで、この歌を紹介すると申し上げましたが、この歌に詠まれているのは、花ではなくて種です。

たった一つの種をまいただけなのに、だだっ広い荒野は、自分にとっての処女地であり、やがて向日葵の花によって占拠されるだろうという、青春期の自負心が主題です。

ただし「…のみに」には、行き過ぎた青春期の自負をかえりみる、作者自身の理性的な認識も含まれています。

つまり、ここには多重の主体があり、寺山の短歌のアイデンティティーの問題は、この下に示すように複雑なところでもあるのです。

 

寺山修司が世に出た「短歌研究」

この歌の内容を考える時に、憶えておきたいのは、この歌が一連50首の最初の作品であったということです。

寺山にとってこれが最初の賞への応募であること、受賞することになれば、これが最初の全国紙への短歌の掲載となるだろうということが、歌の内容に見事にオーバーラップするのです。

マルチな芸術活動を展開

ちなみに、「処女地」というのは、社会運動を描いたツルゲーネフの小説の題名にある言葉で、寺山修司の有名な歌に

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

というものがありますが、寺山は実際に政治的な運動で社会改革をするといったことは行わなかったようです。

代わりに寺山が行ったのは、前衛短歌運動を始めとする、マルチな芸術活動を展開することでした。

寺山には重い持病があったので、「マッチ擦る」とは詠んでもおそらく煙草は吸わなかったと思いますし、グラスを片手に写真に写っていても、飲酒も禁じられていたと思います。

短歌の作者のアイデンティティー

「短歌研究」の応募に際しては「社会運動をする青年」が当時、人々の注目を引くと寺山は考えたのでしょうが、中井英夫の方は、またそれが歌壇においては拒絶を招くとして、同じ主題の歌を削ってしまいました。

従って、この時の短歌の作者の像には、寺山自身の操作の他にも、中井の意図も混じっているわけです。

そして、後に俳句からの剽窃が問題になったように、そもそも歌に詠まれていることは、必ずしも寺山の実像ではないのです。

ですので、寺山の短歌の作者像は、単なる架空という以上に、複雑なものとなっています。

それでもなお、寺山修司の短歌は強い個性を持って、私たちに迫るものとなっているのです。

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