難波津に咲くやこの花 冬ごもり今は春べと咲くやこの花
百人一首と新古今集のこの和歌は、百人一首を始める前の序歌といわれているものです。
今日の日めくり短歌は、天声人語に紹介されていた、「難波津に」の短歌をご紹介します。
スポンサーリンク
難波津に咲くやこの花 冬ごもり今は春べと咲くやこの花の解説
難波津に咲くやこの花 冬ごもり今は春べと咲くやこの花
(読み)なにわづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな
作者と出典
王仁(わに) 古今和歌集仮名序 百人一首序歌
この和歌の意味と現代語訳
大阪の浪速の地に咲くだろうよ、この花は。冬ごもった後、いまは春となったと咲くのだよ、この梅の花は。
解説
梅の花が咲くということを天皇の即位になぞらえ、天皇に贈られた和歌です。
応神天皇の崩御後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合い、天皇の地位は3年間も空位となっていました。
「冬ごもり」は、3年間即位のなかった間のことの大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)のことを指すのでしょう。
春になって花が咲くというのは、即位のことそのものを指すと同時に、即位を待望の春と重ねています。
そののち、難波高津宮において大鷦鷯尊は即位して仁徳天皇となられています。
「難波津の和歌」の特徴
この歌には下のような点で特徴があります。
・古今和歌集の仮名序で紹介されている歌
・百人一首のかるたを始める前に朗唱される歌
・大阪市の行政区である浪速区と此花区は、1925年日にこの歌の句を区名としている
一つずつ解説します。
古今和歌集の仮名序の和歌
この歌は、古今和歌集の仮名序で紹介されている歌です。
古今和歌集仮名序の記述は以下の通り
難波津(なにはづ)の歌は、帝の御初(おほむはじ)めなり。大鷦鷯の帝(おほさざきのみかど)、難波津にて皇子(みこ)と聞える時、春宮(とうぐう)をたがひに譲りて位に即(つ)き給はで三年(みとせ)になりにければ、王仁(わに)といふ人のいぶかり思ひて、詠みて奉りける歌なり。この花は梅の花をいふなるべし。
意味と現代語訳
難波津の歌が天皇の最初だという。大鷦鷯の帝が難波津において皇子となられたとき、皇太子の位である春宮をお互いに譲り合ってその位につかず三年になったところで、王仁(わに)という人の不思議に思って、この歌を詠んで差し上げた、その歌である。
この歌の中の「花」というのは、梅の花のことである。
百人一首の前に詠まれる和歌
百人一首は競技かるたでもありますが、その試合開始時に一番最初に詠まれる和歌がこの歌です。
けれども、この歌はもちろん100枚の中にはありませんので、札が取られることはありません。
百人一首百人一首の有名な代表作和歌20首!藤原定家選の小倉百人一首について
大阪府の浪速区と此花区の由来
大阪市に24区あるうちの2つの区、浪速区と此花区は、それぞれこの歌の「難波津の」と「咲くやこの花」からとられて命名されています。