六歌仙とは、古今和歌集の「仮名序」に記された6人の歌人を指します。
僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主のうち、大伴黒主以外の歌人の短歌は百人一首にもその作品の和歌が採られています。
また、紀貫之が「仮名序」にあげた各歌人の代表作品の短歌と現代語訳も併記します。
六歌仙と百人一首
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六歌仙とは、紀貫之が撰者となって古今和歌集を編纂し、その序文の「仮名序」に記した6人の歌人を指します。
紀貫之自身は、六歌仙という言葉は使っておりませんで、その呼び名は後からつけられました。
六歌仙について詳しくは
六歌仙とは 紀貫之の評を現代語訳付で詳しく解説
仮名序については、こちら
古今和歌集の仮名序とは紀貫之の序文 意味と内容解説 現代仮名遣い
六歌仙に選ばれた歌人
六歌仙に選ばれた歌人は、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の6人です。
- 僧正遍昭 (そうじょうへんじょう)
- 在原業平 (ありひらのなりひら)
- 文屋康秀 (ぶんやのやすひで)
- 喜撰法師 (きせんほうし)
- 小野小町 (おののこまち)
- 大伴黒主 (おおとものくろぬし)
このうち、小野小町だけが女性、女流歌人です。
その6人の歌人の短歌、百人一首に採られた作品と、紀貫之が「仮名序」にあげた歌は以下の通りです。
僧正遍昭の百人一首の和歌
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
読み:あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん
作者と出典
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
・百人一首の12番目の歌
・古今和歌集 17-872
現代語訳と意味
空を吹く風よ、雲の中の通り道を吹き閉じてくれ。この美しい天女たちの姿をしばらくとどめておこうと思うから
詳しい解説は下のページで
天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ (僧正遍昭)
僧正遍昭の「仮名序」の代表作短歌
浅緑糸縒りかけて白露を珠にも貫ける春の柳か 27
(現代語訳)うすい緑色の糸をよりあわせて、露を白珠のように貫いている春の柳よ
蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく 165
(現代語訳)名に愛でて折れる許ぞ女郎花落ちにきと人に語るな 226
その名前を愛らしく思って折っただけなのだ。私が堕落してしまったと人に言うなよ
在原業平の百人一首の短歌
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
作者と出典
在原業平朝臣(
・百人一首 17
・「古今集」
現代語訳と意味
不思議なことが多かった神代にも聞いたことがない。龍田川が、水を美しい紅色にくくり染めにするなんて
詳しい解説は下のページで
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平
在原業平の「仮名序」の代表作短歌
月や有らぬ春や昔の春ならぬわが身一つは本の身にして 194
(現代語訳)あの時の月はないのか。春は昔の春でないのか。私だけが元のままであって
おほかたは月をも愛でじこれぞこの積もれば人の老いとなる物 879
(現代語訳)たいていの場合には、月を愛でることはしない。これはつまり、この月こそが積もり積って人の老いの原因となるものなのだから。
寝ぬる夜の夢を儚み微睡めばいや儚にも成り増さるかな 644
(現代語訳)あなたと寝た夜の夢がむなしく消えていくので、帰って来てからうとうと眠ると、いよいよ儚くなってしまった
文屋康秀の百人一首の和歌
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ
作者と出典
文屋康秀 (ぶんやのやすひで)
・百人一首 17
・「古今集」249
現代語訳と意味
山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめるので、なるほど山風のことを嵐と言うのだろう
※注 「山」「風」を合わせた感じが「嵐」になるという意味。
文屋康秀の「仮名序」の代表作短歌
吹くからに野辺の草木の萎れるればむべ山風を嵐と言ふらむ 22
上に同じ
草深き霞の谷に影隠し照る日の暮れし今日にやはあらぬ 894
(現代語訳)草深い霧の谷に姿を隠して、照る日が暮れた今日なのではないのか、まさにそうなのだ
喜撰法師の代表作 百人一首より
わが庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり
作者と出典
喜撰法師
・百人一首の8番目の歌
・古今集 983
現代語訳と意味
私の庵は都の東南にあってこんな風に澄み切った心で住んでいるのに、人は私を世の中をつらいと思って隠れ住んでいると思っているようだ
詳しい解説は下のページで
わが庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり/喜撰法師
喜撰法師の「仮名序」の代表作短歌
わが庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり
上に同じ
小野小町の代表作 百人一首より
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
読み:はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがよみにふる ながめせしまに
作者と出典
小野小町 (おののこまち)
・百人一首の9番目の歌
・古今集 113
現代語訳
桜の花はむなしく色あせてしまった。空しくも過ごす私の容色が衰えてしまったように
詳しい解説は下のページで
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに/小野小町 表現技法と意味
小野小町の「仮名序」の代表作短歌
思いつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを 552
(現代語訳)あの人のことを思いながら眠りについたから夢に出てきたのであろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかったものを
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞ有りける 797
(現代語訳)花が色褪せる時ははっきりと分かるが、男性の心の変化は目には見えずに変わってゆく
侘びぬれば身を浮草の根を絶えて誘う水あらば去なむとぞ思ふ 1044
(現代語訳)わび住まいの憂き身の上ですので、浮草のように根を断って、誘ってくれる水でもあれば、そのまま流れていってしまおうと思うのです
大伴黒主の百人一首の短歌
大伴黒主の和歌は、百人一首には取られてはいません。
紀貫之が仮名序にあげた歌は以下の通りです。
大伴黒主「仮名序」の代表作短歌
思出(おもいいで)て恋しきときは初雁(はつかり)の鳴きてわたると人は知らずや 735
(現代語訳)思い出して恋しい時は、初雁が鳴いて渡るように、私は泣きながらあなたの家の辺りを行ったり来たりしているがあなたはご存知ありますまい
鏡山いざ立ち寄りて見て行かむ年経ぬる身は老いやしぬると 899
(現代語訳)「鏡」という名の鏡山にさあ立ち寄って見て行こう、年が経ったこの身が老いたかどうかと