街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
きょう11月3日は果物のみかんの日。
冬の果物の代表である蜜柑を詠んだ短歌をご紹介します。
きょうの日めくり短歌は、「みかんの日」にちなんで、木下利玄、斎藤茂吉と石川啄木他の蜜柑の短歌をご紹介します。
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「みかんの日」11月1日の由来
11月3日は蜜柑の日。
「みかんの日」の由来は、
全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定。
「いい(11)みか(3日)ん」と読む語呂合わせで、11月3日と12月3日を「みかんの日」としている。
みかんの名前の由来は、「蜜柑」、「蜜」の由来は、その甘さにあります。
外国での呼び名は、「SATUMA-さつま」 不思議ですね。
木下利玄の蜜柑の短歌
教科書にも掲載される木下利玄の蜜柑の短歌です。
街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
読み:まちをゆき こどものそばを とおるとき みかんのかせり ふゆがまたくる
作者:木下利玄 (きのしたりげん)
現代語訳と意味
街を歩いていて、子どものそばを通り過ぎる時に、蜜柑の香りがする。冬がまたもうじき来るのだなあ
解説
蜜柑の香を交えた町の風景に、冬の到来を詠った歌です。
「香」という感覚的な体感にポイントがあります。
この歌の詳しい解説
斎藤茂吉の蜜柑の短歌
斎藤茂吉の蜜柑を詠んだ短歌で思い出されるのがまず下の2首です。
我友(わがとも)は蜜柑むきつつしみじみとはや抱(いだ)きねといひにけらずや
作者:斎藤茂吉 歌集『赤光』より
解説
「わが友」というのは、古泉千樫のこと。
「はや抱きね」というのは、「早く抱いてしまえよ」とのことで、斎藤茂吉が婚約をして同居をしていながら、まだ結婚に至っていないときの妻輝子を指しています。
「みかんをむく」は、この場合、性的なアレゴリーであるとも言えます。「しみじみと」には、思うように振舞えない作者の気持ちが込められているようです。
斎藤茂吉がどんな人かは下の記事に
斎藤茂吉の作品斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」
海のかぜ山越えて吹く国内(くぬち)には蜜柑の花は既に咲くとぞ
作者:斎藤茂吉 出典「暁紅」
解説
蜜柑の花が既に咲いた場所は、四国の松山市、伊予の国のこと。
ここは、斎藤茂吉の恋人であった永井ふさ子の故郷であり、蜜柑の花=恋人に思いを寄せる歌となっています。
たそがれの、みかんをむきしつまさきの 黄なるかをりに、 母を思へり
作者:土岐善麿
解説
歌の意味は、「夕方蜜柑をむいた指の先に残る、黄色の香りに母を思い出す」ということです。
「黄色の香り」は、蜜柑の色の視覚と嗅覚が合わさったような表現です。
斉藤茂吉の「猫の舌のうすらに紅き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり」にやや似た表現の短歌があります。
参考
猫の舌のうすらに紅き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり/斎藤茂吉『赤光』
石川啄木の蜜柑の短歌
石川啄木の蜜柑の短歌は「一握の砂」と「悲しき玩具」それぞれに見られます。
そことなく蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて夕べとなりぬ
作者:石川啄木 「一握の砂」より
解説
「蜜柑の皮の焼けるようなにおい」というのは、どのような匂いなのでしょうね。
日向臭い香りのことなのでしょうか。
ぢっとして、蜜柑のつゆに染まりたる爪を見つむる心もとなさ!
作者:石川啄木「悲しき玩具」より
解説
「悲しき玩具」の時は、啄木は結核にかかっていることがわかってからの短歌です。
病中、あるいは、病床において蜜柑を食べた後のことであったかもしれません。
きょうの日めくり短歌は、「みかんの日」にちなんで、木下利玄や斎藤茂吉、石川啄木他のみかんの短歌をご紹介しました。
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