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西行法師の百人一首の和歌 嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな

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嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな 西行法師の百人一首の和歌です。

きょうの日めくり短歌は、西行忌にちなみ、西行の百人一首の和歌を鑑賞します。

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嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな

読み: なげけとて つきやはものを おもわする かこちがおなる わがなみだかな

出典

西行法師 百人一首86番 『千載集』926

現代語訳と意味

「嘆け」と言って、月が私を物思いにかりたてているのだろうか。そうではない、恋の悩みを月のせいとする私の涙なのだよ

語句と文法

とて…引用を表す。「といって」の意味。

やは…反語の係序詞 「…だろうか‥いや、ない」の打消しの意味になる。

物を思う…「物思いをする 思い悩む」の意味

かこち顔

かこちの基本形は「かこつ」

【託つ】《五他》 他の事柄にことよせる。口実とする。かこつける。

現代語なら「かこつけた」。つまり、月のせいにしたような顔。

句切れと修辞

  • 3句切れ
  • 「やは…する」の係りむすび
  • 連体止め

解説と鑑賞

一首の鑑賞です。

「題詠」と詞書

詞書に「月前の恋といへる心をよめる」とあります。

この「月前の恋」は、題詠のお題です。

題詠とは

前もって題を決め、それについて詩歌を作ること。和歌の創作方法の一つで、同一題に詠まれた歌で優劣を競う「歌合」が中世には多く行われた。

 

「嘆けとて」の初句の印象

「嘆けとて」というのは作者が作った、空想の呼びかけで、実際に月が呼び掛けるわけではありませんが、職に「嘆け」を置くことで、作者の悲劇的な心持が示されます。

強い印象を持った「嘆け」が初句に置かれることとで、「嘆け」で歌の示すところが決まって、それが一首を貫き、同時に下句の「もの思い」が恋の悩みであることが暗示されます。

「ものを思わする」

「ものを思わする」は、連体形の終止。基本形は、思わすの「す」が終止形。

短歌では連体止めと呼ばれる技法です。

「思わす」は使役で、この句の主語は月とすることによって、嘆きが自発的なものではなく、外部の人、つまり思い人による不可抗力的なものであり、恋の悩みであることがわかります。

反語の係り結びが「月やは」という位置にあることを含めて、大変考えられた複雑な構成です。

「かこち顔なる」の解釈

下句のポイントは「かこち顔」の部分で、「かこつ」は、現代語なら「かこつける」の語幹とお同じ。

月のせいにする」「かこち顔」というのは、特別な顔つきのことではありませんで、むしろ、「月の方を向いて」釈明をしない、心の内を隠している沈黙の表情ということでしょう。

その押し隠した心の裏で、目に見えるのは、月ではなく、思い人の面影です。

「嘆けとて月やはものを思はする」までは、主役は月であり、月のせいで物思いが起こっている。

しかし、それが「かこち顔」で反転するのです。そうではなくて、実は、心に秘めた人がいるためだった。

この、思い人の暗示と、それに本来ならば意味のない月を使う見事さ。しかも、単に月を見ながら物を思う、人をも思うというのよりも、はるかに複雑な構成を持った一首として出来上がっています。

しかも西行自身は、恋愛とは縁のない僧侶なのですから、そのイマジネーションのすばらしさ。

そして、僧侶が、俗世の誰よりも見事な恋の歌を詠むということだけでも。喝采ものでしょう。

いかにも優雅な、題詠での歌の競い合いを思わせる西行のこの歌は、百人一首の中でも秀歌といえましょう。

西行法師の短歌代表作品

リンク先で、各短歌の解説をご覧ください

 

きょうの日めくり短歌は、西行忌にちなみ、西行の百人一首の和歌をご紹介しました。

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