よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ 天武天皇  

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よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ 天武天皇

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よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ  天武天皇が吉野の美しさをたたえた万葉集の歌、原文の「よし」の漢字は5種類が使われています。

なぜ、読みが同じでことごとく異なる漢字が当てられたのでしょうか。

天武天皇の吉野の歌を解説、鑑賞します。

よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ

読み:よきひとの よしとよくみて よしといいし よしのよくみよ よきひと よくみつ

作者と出典

天武天皇 万葉集1-27

万葉集の原文

淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三

一首の意味

昔の良き人が、良いところだと、よく見て良いといった、この吉野をよく見よ。今の良き人、我が息子たちよ、よく見るがよい。

語句の意味

  • よき人…すぐれて立派な人 君子を指す
  • よく見…「見」は「見よ」と同じ。古くは動詞の命令形には「よ」をつけない用法がある。

 

解説と鑑賞

「天皇、吉野宮に幸(いでま)す時の御製歌(おほみうた)」との詞書がある。

元は、早口歌の一種で、このような歌が民間に出回っていたとされています。

歌の成り立ち

5月5日に天武天皇が、吉野に行幸。

吉野は天武天皇元年に起こった壬申の乱以来、天武朝の聖地とされるところ、その吉野の美しさをたたえる歌とされています。

 

「よき」の5種類の漢字

原文では「よき」には、5種類の漢字が当てられています。

人乃 跡吉見而 常言師 見与 良人四来三

取り出すと

「淑」「良」「好」「芳」「吉」

これらは、口で読むだけではなく、歌を文字で読んだ時に初めてわかる工夫です。

「昔と今」のよき人 二つの時制

初句の「淑き人」は昔の貴人のことを指します。

それに対して、五句の「よき人」は、今の世の貴人を指します。

「よく見」は「よ」がない形の命令形ですが、呼び掛けたのは、その日、盟約のために会った、天武天皇の息子たちであると思われます。

「善」の漢字がないのは

原文の「淑人」については、「毛詩」の中には「淑人君子」の言葉があります。

その中に、「淑は善なり」とあります。

つまり、「淑」が「善」を兼ねるので、「善」の字はないのです。万葉学者で、元号「令和」の考案者と言われる中西進氏はこれについて

これに「善」の字がないのは、「善」がすべての良さを含むからでしょう

と談話で話しています。

歌の背景

さらにこの歌の背景には、もっと深い意味があるとも言われています。

6人の皇子たちの盟約とは、彼らがこの先も互いに争わなくてもいいようにという配慮からでした。

「一人の母の子どものように一つとなって」

その際、天武天皇は、次のように言ったそうです。

「千歳(ちとせ)の後に、事無からしめと欲(おもほ)す。いかに」

つまり、自分が亡くなって後も、骨肉の争いが起きないようにということで、それを「いかに」と問いかけたのです。

皇子たちは、それに賛同して誓約。すると天武天皇は、下のように言ったのです。

わが子ども、おのおの異腹(ことはら)にて生まれたり、然れども今し一つ母同産(おもはらから)のごとくに慈(めぐ)まむ

意味は、「わたしの子どもたちは、別々の母を持つ異母兄弟であるが、これからは、同母の兄弟のように、互いに慈しみ合うように」ということです。

なので、この歌は、はやりの早口歌を模した歌のようですが、このような大切な盟約の時の歌ならばこそ、けっしてただの冗談の戯れ歌ではないのです。

異なる漢字の読みは一つの「よい」

下の句の「よき人」というのは、むろん、子どもたちを指すのでしょう。

そして、ただ一つの「善」をその意味に含む、互いに異なる漢字「淑」「良」「好」「芳」「吉」をすべて「よい」と読ませることは、「一つ、母同産(おもはらから)のごとくに」とどこか通じるところがあると言えます。

つまり、漢字は違っても、読みは同じ一つの「よい」であり、そしてそれらの目指すところは「善」である。

天武天皇を天皇の地位に押し上げた、聖地吉野を賛美する歌の中に、これらの意味がすべて含まれているのがこの歌です。

天武天皇のこの一首は万葉集の中でも、他に類のない、不思議な歌といえます。

天武天皇の他の歌

紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひめやも(1-21)

我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後(2-103)




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