文学

『青鞜』の序文全文 平塚らいてう著 「元始、女性は太陽であった」

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『青鞜』を発行したのは平塚らいてう、その冒頭序文に記されたのが、「元始、女性は太陽であった」との”名言”です。

『青鞜』の序文全文を掲載します。

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『青鞜』の序文とは

平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」に始まる、『青鞜』の序文全文を掲載します。

『青鞜』は、1911年(明治44)9月に創刊された月刊誌です。

当初は文芸誌が目的でしたが、2年後に婦人問題を焦点とする雑誌に変わりました。

「元始、女性は太陽であった」の序文の意味と訳の解説は下の記事に

平塚らいてう『青鞜』序文「元始、女性は太陽であった」の意味をわかりやすく解説

 

不明 - http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hiratukaraityou.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2698138による

 

 

 

 

『青鞜』の序文全文

元始女性は太陽であ つた。

――青鞜発刊に際して――  平塚 らいてう

 

元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつ て輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。
偖(さ)てこゝに「青鞜(せいたふ)」は初声(うぶごゑ)を上げた。
現代の日本の女性の頭脳と手によつて始めて出来た「青鞜」は初声を上げた。
女性のなすことは今は只嘲りの笑を招くばかりである。
私はよく知つてゐる、嘲りの笑の下に隠れたる或(ある)ものを。

そして私は少しも恐れない。
併(しか)し、どうしやう女性みづからがみづからの上に更に新(あらた)にした羞恥(しうち)と汚辱(をじよく)の惨(いた)ましさを。
女性とは斯くも嘔吐に価(あたひ)するものだらうか、
否々、真正の人とは――

私共は今日の女性として出来る丈のことをした。心の総てを尽してそして産み上げた子供がこの「青鞜」なのだ。よし、それは低能児だらうが、奇形児だらう が、早生児だらうが仕方がない、暫くこれで満足すべきだ、と。
果して心の総てを尽したらうか。あゝ、誰か、誰か満足しやう。
私はこゝに更により多くの不満足を女性みづからの上に新にした。

女性とは斯くも力なきものだらうか、
否々、真正の人とは――

併し私とて此真夏の日盛(ひざかり)の中から生れた「青鞜」が極熱をもよく熱殺するだけ、それだけ猛烈な熱誠を有(も)つてゐると云ふことを見逃すもの ではない。
熱誠! 熱誠! 私共は只これによるのだ。
熱誠とは祈祷力である。意志の力である。禅定力である、神道力である。云ひ換へれば精神集注力である。
神秘に通ずる唯一の門を精神集注と云ふ。
今、私は神秘と云つた。併しともすれば云はれるかの現実の上に、或は現実を離れて、手の先で、頭の先で、はた神経によつて描き出された拵(こしら)へも のゝ神秘ではない。夢ではない。私共の主観のどん底に於て、人間の深さ瞑想の奥に於てのみ見られる現実其儘の神秘だと云ふことを断つて置く。
私は精神集注の只中に天才を求めやうと思ふ。
天才とは神秘そのものである。真正の人である。
天才は男性にあらず、女性にあらず。
男性と云ひ、女性と云ふ性的差別は精神集注の階段に於て中層乃至下層の我、死すべく、滅ぶべき仮現の我に属するもの、最上層の我、不死不滅の真我に於て はありやうもない。
私は曾(かつ)て此世に女性あることを知らなかつた。男性あることを知らなかつた。
多くの男女は常によく私の心に映じてゐた、併し私は男性として、はた女性として見てゐたことはなかつた。
然るに過剰な精神力の自(おのづ)からに溢れた無法な行為の数々は遂に治(ち)しがたく、救ひがたき迄の疲労に陥れた。
人格の衰弱! 実にこれが私に女性と云ふものを始めて示した。と同時に男性と云ふものを。
かくて私は死と云ふ言葉をこの世に学んだ。
死! 死の恐怖! 曾て天地をあげて我とし生死の岸頭に遊びしもの、此時、ああ、死の面前に足のよろめくもの、滅ぶべきもの、女性と呼ぶもの。
曾て統一界に住みしもの、此時雑多界にあつて途切れ、途切れの息を胸でするもの、不純なるもの、女性と呼ぶもの。
そして、蓮命は我れ自から造るものなるを知らざるかの腑甲斐なき宿命論者の群にあやふく歩調を合せやうとしたことを、ああ思ふさへ冷たい汗は私の膚へを 流れる。
私は泣いた、苦々しくも泣いた、日夜に奏でゝ来た私の竪琴の糸の弛んだことを、調子の低くなつたことを。
性格と云ふものゝ自分に出来たのを知つた時、私は天才に見棄てられた、天翔(あまかけ)る羽衣を奪はれた天女のやうに、陸に上げられた人魚のやうに。
私は歎いた、傷々しくも歎いた。私の恍惚を、最後の希望を失つたことを。

とは云へ、苦悶、損失、困憊(こんぱい)、乱心、破滅総て是等を支配する主人も亦常に私であつた。
私は常に主人であつた自己の権利を以て、我れを支配する自主自由の人なることを満足し、自滅に陥れる我れをも悔ゆることなく、如何なる事件が次ぎ次ぎと 起り来る時でも我の我たる道を休みなく歩んで来た。

ああ、我が故郷の暗黒よ、絶対の光明よ。
自(みづ)からの溢れる光輝と、温熱によつて全世界を照覧し、万物を成育する太陽は天才なるかな。真正の人なるかな。

元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。
今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く病人のやうな蒼白い顔の月である。
私共は隠されて仕舞つた我が太陽を今や取戻さねばならぬ。
「隠れたる我が太陽を、潜める天才を発現せよ、」こは私共の内に向つての不断の叫声、押へがたく消しがたき渇望、一切の雑多な部分的本能の統一せられた る最終の全人格的の唯一本能である。
此叫声、此渇望、此最終本能こそ熱烈なる精神集注とはなるのだ。
そしてその極(きはま)るところ、そこに天才の高き王座は輝く。

青鞜社規則の第一条に他日女性の天才を生むを目的とすると云ふ意味のことが書いてある。
私共女性も亦一人残らず潜める天才だ。天才の可能性だ。可能性はやがて実際の事実と変ずるに相違ない。只精神集注の欠乏の為、偉大なる能力をして、いつ までも空しく潜在せしめ、終(つひ)に顕在能力とすることなしに生涯を終るのはあまりに遺憾に堪へない。

「女性の心情は表面なり、浅き水に泛(うか)ぶ軽佻浮噪の泡沫なり。されど男性の心情は深し、其水は地中の凹窩を疾走す」とツアラトゥストラは云つた。 久しく家事に従事すべく極め付けられてゐた女性はかくて其精神の集注力を全く鈍らして仕舞つた。
家事は注意の分配と不得要領によつて出来る。
注意の集注に、潜める天才を発現するに不適當の境遇なるが故に私は、家事一切の煩瑣を厭ふ。
煩瑣な生活は性格を多方面にし、複難にする、けれども其多方面や、複雑は天才の発現と多くの場合反比例して行く。

潜める天才に就て、疑ひを抱く人はよもあるまい。
今日の精神科学でさへこれを実証してゐるではないか。総ての宗教にも哲学にも何等の接触を有(も)たない人でも最早(もはや)かの催眠術、十八世紀の中 葉、墺国(オーストリヤ)のアントン、メスメル氏に起原を発し、彼の熱誠と忍耐の結果、遂に今日学者達の真面目な研究問題となつたかの催眠術を多少の理解 あるものは疑ふことは出来まい。いかに繊弱(かよわ)い女性でも一度催眠状態にはいる時、或暗示に感ずることによつて、無中有を生じ、死中活を生じ忽然と して霊妙不可思議とも云ふべき偉大な力を現すことや、無学文盲の田舎女が外国語を能く話したり、詩歌を作つたりすることなどは屡々私共の目前で実験され た。また非常時の場合、火事、地震、戦争などの時、日常思ひ至らないやうな働をすることは誰れでも経験することだ。
完全な催眠状態とは一切の自発的活動の全く休息して無念無想となりたる精神状態であると学者は云ふ。
然らば私の云ふところの潜める天才の発現せらるべき状態と同一のやうだ。私は催眠術に掛れないので遺憾ながら断言は出来ないが、少くとも類似の境界だと は云へる。
無念無想とは一体何だらう。祈祷の極、精神集注の極に於て到達し得らるゝ自己忘却ではないか。無為、恍惚ではないか。虚無ではないか。真空ではないか。
実(げ)にこゝは真空である。真空なるが故に無尽蔵の智恵の宝の大倉庫である。一切の活力の源泉である。無始以来植物、動物、人類を経て無終に伝へらる べき一切の能力の福田(ふくでん)である。
こゝは過去も未来もない、あるものは只これ現在。
ああ、潜める天才よ。我々の心の底の、奥底の情意の火焔の中なる「自然」の智恵の卵よ。全智全能性の「自然」の子供よ。

「フランスに我がロダンあり。」
ロダンは顕れたる天才だ。彼は偉大なる精神集注力を有(も)つてゐる。一分の隙なき非常時の心を平常時の心として生きてゐる。彼は精神生活のリズムにせ よ、肉体生活のリズムにせよ、立所に自由に変ずることの出来る人に相違ない。むべなる哉、インスピレーションを待つかの奴隷のやうな藝術の徒を彼は笑つ た。
其意志の命ずる時、そこに何時でもインスピレーションがある彼こそ天才となるの唯一の鍵を握つてゐる人と云ふベきだらう。
三度の箸の上下にも、夕涼の談笑にも非常時の心で常にありたいと希ふ私は曾て白樺のロダン号を見て多くの暗示を受けたものだ、物知らずの私にはロダンの 名さへ初耳であつた。そしてそこに自分の多くを見出した時、共鳴するものあるをいたく感じた時、私はいかに歓喜に堪ヘなかつたか。
以來、戸を閉じたる密室に独座の夜々、小さき燈火が白く、次第に音高く、嵐のやうに、しかもいよいよ単調に、瞬(またゝき)もなく燃える時、私の五羽の 白鳩が、優しい赤い眼も、黒い眼も同じ薄絹の膜に蔽はれて寄木(やどりき)の上にぷつと膨れて安らかに眠る時、私は大海の底に独り醒めてゆく、私の筋は緊 張し、渾身に血潮は漲(みなぎ)る。其時、「フランスに我がロダンあり。」と云ふ思ひが何処からともなく私の心に浮ぶ。そして私はいつか彼と共に「自然」 の音楽を――かの失はれたる高調の「自然」の音楽を奏でゝゐるのであつた。
私はかの「接吻」を思ふ。あらゆるものを情熱の坩堝(るつぼ)に鎔す接吻を、私の接吻を。接吻は実に「一」である。全霊よ、全肉よ、緊張の極(はて)の 圓かなる恍惚よ、安息よ、安息の美よ。感激の涙は金色の光に輝くであらう。
日本アルプスの上に灼熱に燃えてくるくると廻転する日没前の太陽よ。孤峯頂上に独り立つ私の静けき慟哭よ。
弱い、そして疲れた、何ものとも正体の知れぬ、把束し難き恐怖と不安に絶えず戦慄する魂。頭脳(あたま)の底の動揺、銀線をへし折るやうな其響、寝醒時 に襲つて来る黒い翅の死の強迫観念。けれど、けれど、一度自奮する時、潜める天才はまだ私を指導してくれる。まだ私を全く見棄(みすて)はしない。そして 何処から来るともなし私の総身に力が漲つてくる、私は只々強き者となるのだ。私の心は大きくなり、深くなり、平になり、明るくなり、視野は其範囲を増し、 個々のものを別々に見ることなしに全世界が一目に映じてくる。あの重かつた魂は軽く、軽く、私の肉体から抜け出して空にかゝつてゐるのだらうか。否、実は 目方なきものとなつて気散して仕舞つたのだらうか。私はもう全く身も心も忘れ果てて云ふべからざる統一と調和の感に酔つて仕舞ふのだ。
生も知らない。死も知らない。
敢て云へば、そこに久遠の「生」がある。熱鉄の意志がある。
この時ナポレオンはアルプス何あらむやと叫ぶ。実に何ものの障碍(しやうがい)も其前にはない。
真の自由、真の解放、私の心身は何等の圧迫も、拘束も、恐怖も、不安も感じない。そして無感覚な右手が筆を執つて何事かをなほ書きつける。
私は潜める天才を信ぜずには居られない。私の混乱した内的生活が僅に統一を保つて行けるのは只これあるが為めだと信ぜずにはゐられない。

自由解放! 女性の自由解放と云ふ声は随分久しい以前から私共の耳辺にざわめいてゐる。併しそれが何だらう。思ふに自由と云ひ、解放と云ふ意味が甚しく 誤解されてゐはしなかつたらうか。尤(もつと)も単に女性解放問題と云つても其中には多くの問題が包まれてゐたらう。併し只外界の圧迫や、拘束から脱せし め、所謂(いはゆる)高等教育を授け、広く一般の職業に就かせ、参政権をも与へ、家庭と云ふ小天地から、親と云ひ、夫と云ふ保護者の手から離れて所謂独立 の生活をさせたからとてそれが何で私共女性の自由解放であらう。成程それも真の自由解放の域に達せしめるによき境遇と機会とを与へるものかも知れない。併 し到底方便である。手段である。目的ではない。理想ではない。
とは云へ私は日本の多くの識者のやうな女子高等教育不必要論者では勿論ない。「自然」より同一の本質を受けて生れた男女に一はこれを必要とし、一はこれ を不必要とするなどのことは或国、或時代に於て暫くは許せるにせよ、少しく根本的に考へればこんな不合理なことはあるまい。
私は日本に唯一つの私立女子大学があるばかり、男子の大学は容易に女性の前に門戸を開くの寛大を示さない現状を悲しむ。併し一旦にして我々女性の智識の 水平線が男性のそれと同一になつたとしたところでそれが何だらう。抑(そもそ)も智識を求めるのは無智、無明の闇を脱して自己を解放せむが為に外ならぬ。 然るにアミイバのやうに貪り取つた智識も一度眼を拭つて見れば殻ばかりなのに驚くではないか。そして又我々は其殻から脱する為め多くの苦闘を余儀なくせね ばならないではないか。一切の思想は我々の真の智恵を暗まし、自然から遠ざける。智識を弄んで生きる徒は学者かも知れないが到底智者ではない。否、却て眼 前の事物其儘の真を見ることの最も困難な盲(めしひ)に近い徒である。
釈迦は雪山に入つて端座六年一夜大悟して、「奇哉(きなるかな)、一切衆生具有如来智恵徳相、又曰、一仏成道観見法界草木国土悉皆成仏」と。彼は始めて 事物其儘の真を徹見し、自然の完全に驚嘆したのだ。かくて釈迦は真の現実家になつた。真の自然主義者になつた。空想家ではない。実に全自我を解放した大自 覚者となつたのだ。
私共は釈迦に於て、真の現実家は神秘家でなければならぬことを、真の自然主義者は理想家でなければならぬことを見る。
我がロダンも亦さうだ。彼は現実に徹底することによつてそこに現実と全く相合する理想を見出した。
「自然は常に完全なり、彼女は一つの誤謬をも作らず」と云つたではないか。自からの意力によつて自然に従ひ、自然に従ふことによつて自然を我ものとした彼 は自(みづ)から自然主義者と云つてゐる。
日本の自然主義者と云はれる人達の眼は現実其儘の理想を見る迄に未だ徹してゐない。集注力の欠乏した彼等の心には自然は決して其全き姿を現はさないの だ。人間の瞑想の奥底に於てのみ見られる現実即理想の天地は彼等の前に未だ容易に開けさうもない。
彼等のどこに自由解放があらう。あの首械(くびかせ)、手械、足械はいつ落ちやう。彼等こそ自縄自縛の徒、我れみづからの奴隷たる境界に苦しむ憐れむべ き徒ではあるまいか。
私は無暗と男性を羨み、男性に真似て、彼等の歩んだ同じ道を少しく遅れて歩まうとする女性を見るに忍びない。

女性よ、芥の山を心に築かむよりも空虚に充実することによつて自然のいかに全きかを知れ。

然らば私の希ふ真の自由解放とは何だらう。云ふ迄もなく潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させることに外ならぬ。それには発展の妨害となる ものゝ総てをまづ取除かねばならぬ。それは外的の圧迫だらうか、はたまた智識の不足だらうか、否、それらも全くなくはあるまい、併し其主たるものは矢張り 我そのもの、天才の所有者、天才の宿れる宮なる我そのものである。
我れ我を遊離する時、潜める天才は発現する。
私共は我がうちなる潜める天才の為めに我を犠牲にせねばならぬ。所謂無我にならねばならぬ。(無我とは自己拡大の極致である。)
只私共の内なる潜める天才を信ずることによつて、天才に対する不断の叫声と、渇望と、最終の本能とによつて、祈祷に熱中し、精神を集注し以て我を忘れる より外(ほか)道はない。
そしてこの道の極(きはま)るところ、そこに天才の玉座は高く輝く。

私は総ての女性と共に潜める天才を確信したい。只唯一の可能性に信頼し、女性としてこの世に生れ来つて我等の幸を心から喜びたい。
私共の救主は只私共の内なる天才そのものだ。最早(もはや)私共は寺院や、教会に仏や神を求むるものではない。
私共は最早、天啓を待つものではない。我れ自からの努力によつて、我が内なる自然の秘密を曝露し、自から天啓たらむとするものだ。
私共は奇蹟を求め、遠き彼方の神秘に憧れるものではない、我れ自からの努力によつて我が内なる自然の秘密を曝露し、自から奇蹟たり、神秘たらむとするも のだ。
私共をして熱烈なる祈祷を、精紳集注を不断に継続せしめよ。かくて飽迄も徹底せしめよ。潜める天才を産む日まで、隠れたる太陽の輝く日まで。
其日私共は全世界を、一切のものを、我ものとするのである。其日私共は唯我独存の王者として我が踵もて自然の心核に自存自立する反省の要なき真正の人と なるのである。
そして孤独、寂寥のいかに楽しく、豊かなるかを知るであらう。

最早(もはや)女性は月ではない。
其日、女性は矢張り元始の太陽である。真正の人である。

私共は日出づる国の東(ひんがし)の水晶の山の上に目映ゆる黄金の大圓宮殿を営まうとするものだ。
女性よ、汝の肖像を描くに常に金色の円天井を撰ぶことを忘れてはならぬ。
よし、私は半途にして斃るとも、よし、私は破船の水夫として海底に沈むとも、なほ麻痺せる双手を挙げて「女性よ、進め、進め。」と最後の息は叫ぶであら う。
今私の眼から涙が溢れる。涙が溢れる。
私はもう筆を擱(お)かねばならぬ。
併しなほ一言云ひたい。私は「青鞜」の発刊と云ふことを女性のなかの潜める天才を、殊に藝術に志した女性の中なる潜める天才を発現しむるによき機会を与 へるものとして、又その為の機関として多くの意味を認めるものだと云ふことを、よしこゝ暫らくの「青鞜」は天才の発現を妨害する私共の心のなかなる塵埃 や、渣滓(さし)や、籾殻を吐出すことによつて僅に存在の意義ある位のものであらうとも。
私は又思ふ、私共の怠慢によらずして努カの結果「青鞜」の失はれる日、私共の目的は幾分か達せられるのであらう、と。
最後に今一つ、青鞜社の社員は私と同じやうに若い社員は一人残らず各自の潜める天才を発現し、自己一人に限られたる特性を尊重し、他人の犯すことの出来 ない各自の天職を全うせむ為に只管(ひたすら)に精神を集中する熱烈な、誠実な真面目な、純朴な、天真な、寧(むし)ろ幼稚な女性であつて他の多くの世間 の女性の団体にともすれば見るやうな有名無実な腰掛つぶしは断じてないことを切望して止まぬ私はまたこれを信じて疑はぬものだと云ふことを云つて置く。
烈しく欲求することは事実を産む最も確実な真原因である。――完――

青鞜社概則

以下は、『青鞜』を発行する青鞜社の会社の会則です。

青鞜社概則

第一條 本社は女流文學の發達を計リ、各自天賦の特性を發揮せしめ、他日女流の天才を生まむ事を目的とす。
第二條 本社を青鞜社と稱す。
第三條 本社事務所を本郷區駒込林町九番地 物集方に置く。
第四條 本社は、社員賛助員客員よりなる。
第五條 本社の目的に賛同したる女流文學者、將來女流文學者たらんとする者及び文學愛好の女子は人種を問はず社員とす。本社の目的に賛同せられたる女流 文壇の大家を賛助員とす。本社の目的に賛同したる男子にして社員の尊敬するに足ると認めたる人に限り客員とす。
第六條 本社の目的を達する為め左の事業をなす。
一、毎月一回機關雜誌青鞜を發刊すること。青鞜は社員及び賛助員の創作、評論、其他客員の批評等も掲載することあるべし。
二、毎月一回社員の修養及び研究會を開くこと、但し賛助員の出席隨意たるべし。
三、毎年一回大會を開くこと、大會には賛助員客員を招待し、講話を請ふことあるべし。
四、時に旅行を催すこと。
第七條 社員は社費凡三拾錢を毎月納附すべし。社費は毎月會並に大會の費用と社員、賛助員、客員への雜誌「青鞜」寄贈費とに當るものとす。
第八條 雜誌「青鞜」發刊の經費は發起人の支出により、其維持は社員、賛助員、客員其の他の寄附による。
第九條 幹部は編輯係、庶務係、會計係よりなる。
第十條 係員は四人とし、半數づゝ一年毎に交代す。最初は發起人等是に當る。
第十一條 係員は社員の選擧によるものとす。
第十二條 係員は再選することを得。

發起人(いろは順)

發起人(いろは順)

中野 初子  保持 研子
木内 錠子  平塚 明子
物集 和子

名簿(いろは順)

名簿(いろは順)

賛助員

長谷川時雨  岡田八千代
加藤 籌子  與謝野晶子
國木田治子  小金井喜美子
森 しげ子

社員

社員

岩野清子 戸澤はつ子 茅野雅子 尾島菊子 大村かよ子
大竹雅子 加藤みどり 神崎恒子 田原祐子 田村とし子
上田君子 野上八重子 山本龍子 阿久根俊子 荒木郁子
佐久間時子 水野仙子 杉本正生

 

以上、『青鞜』初刊の序文の全文をご紹介しました。







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