帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月
藤原定家の新古今和歌集に収録されている有名な和歌の現代語訳と意味、表現技法の解説、鑑賞を記します。
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帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月
読み: かえるさの ものとやひとの ながむらん まつよながらの ありあけのつき
作者と出典
藤原定家
新古今和歌集 巻13・恋歌(三)・1206番
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現代語訳と意味
他の女性のところから帰るときの月として、あの人はこの月を眺めているのでしょうか。あの人の来るのを待って夜が明けてしまい、有明の月として私は眺めていますのに
語句と文法
- 帰るさ…意味は「帰る時」「帰りがけ」
- ものとや…「もの」は月を指す。
- とや…(格助詞「と」に係助詞「や」の付いたもの。「と」によって示される事柄に対する疑問を表わす。
- 人…思っている相手、ここでは作者は仮想の女性なので、「人」は男性を指す
- ながむらん…基本形「眺む+らむ(推測の助動詞」
- ながらの…「ながら」は二つの動作の並行。意味は「…ながら。…つつ」
- 有明の月…「ありあけ」は夜明け。その時間の月を指す
句切れと表現技法
- 3句切れ
- 体言止め
体言止め他の短歌の技法については
短歌の表現技法7つ 比喩, 擬人法, 体言止め, 反復法, 倒置法, 対句, 省略法とは
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解説と鑑賞
藤原定家の新古今和歌集でよく知られる作品。
この歌は、壬生忠岑の「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」の本歌取りで詠まれた相聞の歌とされているが、主人公は女性で、その心境に成り代わってよんでいる。
そのため歌の中の「人」は、作者女性から見た男性の恋人ということになる。
この歌の本歌は
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑
一首の構成に見られる工夫
一首の調べ、音の運びは流麗で、「帰るさのものとや人のながむらん」の音(おん)が柔らかく、いかにも詠み手が女性であることを思わせる。
上句の主語を「人」として、3句切れで、いったん小休止を置き、そこから主語を転換して、下句は、女性の作者が「待つ」以下の主語となっている。
作者の側からみて会えないはずの相手と、あたかも一体であるかのような錯覚を起こさせるのは、「人」が主語となる「眺む」の目的語の「有明の月」が上句にはなく、女性の目に見える月として、一文の最後、結句に提示されて初めてわかるからだろう。
それに伴って、女性が表す恋情と共に、上句に足りない部分が間をおいて判明し、一首の内容が全部伝わるようになっている。
31文字の中に、短い疑問のテンション(緊張)と、内容の判明に伴って生じるゆるい弛緩がある。
女性の相手の帰路の姿を思い浮かべる胸の苦しさは、歌の読み手の疑問のテンションと同期するものだ。
その途中、短歌の「省略」の技法も適宜用いられながら、恋しい恨みがましい気持ちを言わず、「有明の月」とだけ示して、余韻を残す美しい一首となってまとまっている。
藤原 定家について
藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人。
読みは「ていか」と読まれることが多い。父は藤原俊成。
日本の代表的な新古今調の歌人。『小倉百人一首』の撰者。
作風は、巧緻・難解、唯美主義的・夢幻的といわれている。