またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの 藤原俊成  

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またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの 藤原俊成

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またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの

藤原俊成(ふじわらとしなり)の代表作として知られる、有名な短歌の現代語訳、品詞分解と修辞法の解説、鑑賞を記します。

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またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの

読み: またやみん かたののみのの さくらがり はるのゆきちる はるのあけぼの

作者と出典

藤原俊成(ふじわらのとしなり)

新古今集 春下114

現代語訳と意味

また見ることがあろうか。交野の御狩り場の桜狩りの、雪のように花が散る、春のあけぼののこの美しいひとときを

句切と修辞法

  • 初句切れ
  • 3句切れ
  • 体言止め
  • 反語

語句と文法

各語句の品詞分解です

「またや見む」品詞分解

  • 「や」…反語 終助詞
  • 「見む」…基本けり「見る」+未来・推量の助動詞「む」終止形

 

  • 交野…今の大阪府北東部
  • 桜狩り…山野に行って、花などの美しさを観賞すること
  • あけぼの…夜明け




解説と鑑賞

藤原俊成、82歳の時の作で、晩年の心境を反映した一首。

『伊勢(いせ)物語』八十二段に惟喬(これたか)親王と業平(なりひら)ら親王周辺の人々が交野で桜狩りをする話があり、それを踏まえての作。

「桜狩り」は、春に行う催しで、鷹狩を踏まえた上での花見だが、歌藍の判定の際に「桜狩り」がいささか誤解された由があり、俊成自ら「これは桜狩りと申すことを人のあしく申すかたの侍れば」として解説を加えている。

作者の心情と反語の理解

「幽玄」を信条とする俊成の歌の中では、晩年にして、華やかな艶のあることが、いくらか特異でもあるが、冒頭の「またや見む」が、「また見られることがあろうか、いや、ないであろう」とすると、作者82歳にして、これ限りの桜とも思った心情が理解できるだろう。

最後かもしれない桜と、その華やかさをとどめておきたい心持ちが、初句切れで明確に示されている。

咲き盛る桜ではなくて、散っていく桜に華やかさの名残、そして、命を惜しむ気持ちも読み取れよう。

「春の雪散る」の「雪」は実際の雪ではなくて、雪のような桜の花びらのことで、新古今の時代のアイテム、「花」と「雪」を取り合わせている。

藤原俊成について

藤原俊成(ふじわらのとしなり)

1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入集。
小倉百人一首 83 「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」の作者。

作歌の理想として〈幽玄〉の美を説いた他、『新古今和歌集』(1205)や中世和歌の表現形成に大きく寄与。
歌風は、不遇感をベースにした濃厚な主情性を本質とする。
藤原定家は子ども、寂連は甥、藤原俊成女は孫だが養子となった。他にも「新古今和歌集」の歌人を育てた。

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