思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る
藤原俊成の代表作として知られる、有名な短歌の現代語訳、品詞分解と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る
読み: おもいあまり そなたのそらを ながむれば かすみをわけて はるさめぞふる
作者と出典
皇太后宮大夫俊成 藤原俊成(ふじわらのとしなり)
新古今集 1107
現代語訳と意味
思いが余って恋しさのあまり、あなたの居る方の空を眺めたら、霞がかった空より春雨が降っている
句切と修辞法
- 初句の字余り
- 句切れなし
- 『春雨』は『涙』の比喩とされる
- 係り結び「ぞ…ふる」 末尾の「ふる」は已然形
※係り結びの解説は下の記事に
語句と文法
- そなた… 代名詞 意味は「そちら。他「かなた」「あなた」の類語
- 眺めれば…「ば」は確定順接条件 「…したら」「…ので」などの意味
解説と鑑賞
詞書に「あめふる日、女につかはしける」との詞書がある。相手への手紙として贈った和歌。
本歌どり「おもひかねてそなたの空をながむれば」
本歌は「おもひかねてそなたの空をながむればただ山の端にかかる白雲」藤原忠通作の和歌と言われている。
下句の「霞を分けて春雨ぞ降る」は、見たままを詠み込む写生だが、霞と春雨が、寂しさと侘しさを強調し、俊成の提言する「幽玄」にも合った状景となっている。
作者の心情を表す情景
「霞」はいかにもくぐもった心の状態を、「春雨」は悲しみや、その時代の象徴である「涙」をそれぞれ暗示する。
本歌の「ただ山の端にかかる白雲」は、「ただ」によって強調することで、相手の不在を表現するところがポイントだが、俊成の歌は景色に寄って作者の心情を表すといえる。
藤原俊成について
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入集。
小倉百人一首 83 「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」の作者。作歌の理想として〈幽玄〉の美を説いた他、『新古今和歌集』(1205)や中世和歌の表現形成に大きく寄与。
歌風は、不遇感をベースにした濃厚な主情性を本質とする。
藤原定家は子ども、寂連は甥、藤原俊成女は孫だが養子となった。他にも「新古今和歌集」の歌人を育てた。