若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
万葉集の代表的な歌人の一人、山部赤人の有名な和歌を鑑賞、解説します。
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若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
読み:わかのうらに しほみちくれば かたをなみ あしへをさして たづなきわたる
作者
山部赤人 万葉集 6-919
現代語訳
若の浦に潮が満ちてくると干潟がなくなるので 足の生えた岸辺に向かって鶴が鳴きながら渡っていく
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句切れと修辞
- 句切れなし
語と文法
- 若の浦…天皇が行幸した玉津島付近の浦
- 潟をなみ…干潟がないので 「なみ」は形容詞「無し」と「み」の用法で「を…み構文」とよばれるもの。
「を・み構文」について
「を・み構文」 名詞+間投助詞「を」+形容詞語幹+接尾語「み」
「瀬を早み」「人言を繁み」「人目を多み」「苫をあらみ」「野をなつかしみ」「山高み」など。
例:瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳院
解説と鑑賞
長歌と反歌二首からなる歌の、第二反歌になる歌。
長歌に連動して、長歌に詠まれた潮の満ち干を、第一反歌が、「満」を表し、この歌が「干」を表すものとなっている。
一首の主題
満ち潮の動きと鶴の躍動を詠みながら、天応家の平安と永遠を寿ぎ、行幸の地である玉津島の神代よりの貴さを讃えるのが一首の主題である
山部赤人に特徴的な、叙景の良さを存分に表す歌で、静かながら満ち干の潮の力強いダイナミズムと、さらに動きのある鶴の群れの羽ばたきに加えて、鶴の鳴き声である聴覚的な描写を加えている。
斎藤茂吉の『万葉秀歌』解説より
この歌も清潔な感じのする赤人一流のもので、「葦べをさして鶴鳴き渡る」は写像鮮明で旨いものである。また声調も流動的で、作者の気乗していることも想像するに難くはない。「潟をなみ」は、赤人の要求であっただろうが、微かな「理」が潜んでいて、もっと古いところの歌ならこうは云わない。―「万葉秀歌」斎藤茂吉著
山部赤人の他の和歌
縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島榜ぎ廻る舟は釣しすらしも(3-357)
武庫の浦を榜ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつともしき小舟(3-358)
我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥つ城ところ(3-432)
沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちい隠りゆかば思ほえむかも(6-918)
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴たづ鳴き渡る(6-919)
み吉野の象山きさやまの際の木末にはここだも騒く鳥の声かも(6-924)
ぬば玉の夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(6-925)
玉藻刈る辛荷にの島に島廻(しまみ)する鵜にしもあれや家思はずあらむ(6-943)
島隠り我が榜ぎ来れば羨しかも大和へ上る真熊野の船(6-944)
風吹けば波か立たむと伺候に都太の細江に浦隠り居り(6-945)
明日よりは春菜摘まむと標し野に昨日も今日も雪は降りつつ(8-1427)
百済野の萩の古枝に春待つと居をりしうぐひす鳴きにけむかも(8-1431)
あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも(8-1425)
恋しけば形見にせむと我が屋戸に植ゑし藤波今咲きにけり(8-1471)
山部赤人とはどんな歌人か
山部赤人 (やまべのあかひと) 生没不詳
神亀元年 (724) 年から天平8 (736) 年までの生存が明らか。国史に名をとどめず、下級の官僚と思われる。『万葉集』に長歌 13首、短歌 37首がある。聖武天皇の行幸に従駕しての作が目立ち、一種の宮廷歌人的存在であったと思われるが、ほかに諸国への旅行で詠んだ歌も多い。
短歌、ことに自然を詠んだ作はまったく新しい境地を開き、第一級の自然歌人、叙景歌人と評される。後世、柿本人麻呂(かきのもとの-ひとまろ)とともに歌聖とあおがれた。三十六歌仙のひとり。