鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白 馬場あき子  

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鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白 馬場あき子

2022年5月23日

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鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白

馬場あき子の有名な短歌代表作、教科書にも掲載されているこの歌の意味と現代語訳、句切れと表現技法を解説、鑑賞します。

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鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白の解説

現代語での読み:くじらのせいき きょうりゅうのせいき いずれにももどれぬ ちきゅうのすいせんのしろ

作者と出典

馬場あき子

現代語訳の意訳

鯨や恐竜がのびのびと暮らしていただろう大昔に戻りたいが、そのどこにも戻れない。この地球の水仙の白い色を眺める

句切れと文法

・4句切れ 「戻れぬ」は終止形

表現技法

体言止め

初句7文字の字余り

反復と対比

 

解説

馬場あき子の教材に選ばれた短歌の中でも、解釈が難しいとされる歌。

ここでは、ブログ筆者の考えを伝える。

「鯨の世紀」「恐竜の世紀」

鯨の起源は、クジラ類と姉妹群であると考えられる動物がいたのが、4800万年前とされる通り恐竜よりも古いともいえる。

一方、恐竜がいたのは、2億3千万年ほど前で、いずれも、「昔」「大昔」を指すと考えよう

「鯨の世紀」「恐竜の世紀」は表現技法は「反復」で、同じ言葉を含む句を重ねることで印象を強めている。

「水仙」との対比

大昔の鯨と、恐竜は、共に現代では見られないものであるが、「水仙」は現代にも生息する。

この歌では作者の目の前にあるとも考えられる。

この「水仙」は、「鯨」と「恐竜」」に対比されるが、その最も大切な点は、時間であろう。

「戻れぬ」の意味

元々時間をさかのぼって「戻る」ことはできない。

作者が「戻れぬ」と詠んだ時点で、「戻りたい」願望があることが察せられる。

「いずれにも」は、それを強めるもので、作者は鯨、恐竜、そのどちらでもよいのだが、とにかく時間を戻ることが願望の目的であることがわかる。

作者が「戻りたい」というのには、その時代に並々ならむ魅力を感じるような、状況に現在置かれていることも想像できる。

「水仙の白」は現在の象徴

今ではない、ここではないところに時間をさかのぼって行ってしまいたいが、それができない。

その際の「水仙の白」は、現在という作者の置かれた時間の象徴であろう。

花は、恐竜に比べるとはるかに弱弱しく、花の命も短いものである。

作者は水仙を眺めながら、遙かな太古の時間に心を惹かれている。

同時に、精いっぱいこの自分自身のいる「世紀」を生きようという気持ちも表されていると思われる。

馬場あき子の他の歌

あやまたず来る冬のこと黄や赤の落葉はほほとほほゑみて散る

幾春(いくはる)かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

夜半(よは)さめて見れば夜半さえしらじらと 桜散りおりとどまらざらん

真夜中にペットボトルの水を飲むわたしは誰も許していない

馬場あき子プロフィール

馬場 あき子は、東京都出身の歌人、文芸評論家。

短歌結社「かりん」主宰。日本芸術院会員。

朝日歌壇、岩手日報「日報文芸」、新潟日報読者文芸選者。古典や能に対する造詣が深く、喜多実に入門、新作能の制作も行っている。

また、『鬼の研究』など民俗学にも深い知識を持つ。本名:岩田暁子。夫は歌人の岩田正。―馬場あき子 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 




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