小倉山嵐の風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき 『大鏡』三舟の才の和歌の修辞解説  

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小倉山嵐の風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき 『大鏡』三舟の才の和歌の修辞解説

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小倉山嵐の風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき 『大鏡』の三舟の才にある 藤原公任の和歌の修辞法の解説他を記します。

「三舟の才」の読み方

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「三舟の才」の読みは「さんしゅうのさい」。

他に「三船の才」という書き方もあり、そちらは「さんせんのさい」 とも読まれます。

「三舟の才」は『大鏡』にある藤原公任(ふじわらのきんとう)の逸話を表すものです。

藤原公任について

藤原公任の読みは「ふじわらのきんとう」。

平安時代の歌人・歌学者であり、大納言を務めた貴族です。

藤原公任の代表作

藤原公任の代表作は百人一首の55番に選ばれた下の歌です。

関連記事:
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ 百人一首55番

 

「三舟の才」の意味

「三舟の才」の意味は、詩・歌・管弦のすべてにすぐれていること 。

これは藤原公任が、そのいずれにもすぐれていたことを指します。

「大鏡」において下のように記された部分です。

道長が大堰川に漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟を出し、それぞれの分野の名人を乗せた際、乗る舟を尋ねられた公任は和歌の舟を選び、「小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき」と詠んで賞賛された。ところが公任は、漢詩の舟を選んでおけば、もっと名声が上がったはずだと悔やみ、道長に舟を選べと言われたときに、すべての分野で認められているとうぬぼれてしまったと述懐した。 ―出典:フリー百科事典wikipedia「藤原公任」より

「道長」は藤原道長。

藤原道長の代表作は下の和歌です。

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば 藤原道長

藤原道長の和歌一覧 新古今集・千載集・御堂関白集

 

この記事では、上の和歌の解説を記します。

 

小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき の読み

読みは

おぐらやま あらしのかぜの さむければ もみじのにしき きぬひとぞなき

です。

小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき の意味

小倉山や嵐山から吹き下ろす風が寒いくらい強いので、紅葉の葉が散りかかってた人々が錦の衣を着ているように見える

句切れ

初句切れ

修辞法

  • 係り結び 「ぞ・・・鳴き(連体形)」

※それぞれの修辞法の解説は

和歌の修辞法をわかりやすく解説

 

小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき の解説

一首の解説を記します。

掛詞の工夫

小倉山で初句切れ。「嵐」は、小倉山と同じく「嵐山」の意味ですが、「嵐の風」の掛詞としています。

短歌は文字数が決まっているので、「小倉山もまた嵐山に吹く風も」と全部を入れることがでないので、掛詞で工夫をしたと考えられます。

「寒ければ」は確定順接条件

「寒ければ」は、「寒いので」と訳します。

確定順接条件というもので、もし寒かったならば」の仮定法とは区別して考えます。

見立ての意味

そして、その風が寒いので服を重ね着するかのように、人々は衣をまとわない人はいない。

しかし、その衣とは、寒くなるまで激しく吹きつける風によって散った紅葉が身にまといついたもので、それを「衣」と見立てているのです。

※和歌の見立ての例はこちらで読めます

和歌の見立ての例 

「きぬ人ぞなき」係り結び

結句の「きぬ人ぞなき」の「なき」は、基本形は「なし」

ここでは「ぞ…」の後の係り結びとなっており、連体形「なき」となっています。

品詞分解

品詞分解の要所を一覧にすると

ば(強ければ) 接続助詞 「~なので、~から」の意味
ぬ(きぬ) 打消の助動詞「ず」の連体形
ぞ(人ぞ) 強調の係助詞 結びは連体形で係り結び
なき ク活用の形容詞「・・・なし」の連体形

 

作者藤原公任について

藤原公任 ふじわらのきんとう 966-1041

大納言公任(だいなごんきんとう)に同じ。通称、四条大納言

平安中期の歌人・歌学者。 中古三十六歌仙の一人

宮御所の歌会に出詠、勅撰集に入集。

和歌の他、漢詩、管弦をたしなみ、歌人としてよりも歌論に優れていたと伝えられている。




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