花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり 百人一首の96番、入道前太政大臣の百人一首の和歌の現代語訳と解説・鑑賞を記します。
この歌は新勅撰集にも収録されています。
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花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけりの解説
読み:はなさそう あらしのにわの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり
作者
入道前太政大臣(西園寺公経 さいおんじきんつね)
出典
新勅撰集 雑一 1052
百人一首96
現代語訳
桜の花が嵐の日の庭ので雪が降るかのように散っていくが、ふりゆくといえば私自身でもある
語句
・花さそふ・・・「さそふ」は「誘う」。
「花」は目的語で「花を誘う」の主語は「嵐」である
・雪ならで・・・桜の花が咲くはるなので、この雪は花が唯のように散っているという描写。
「ならで」は打消しで「雪ではないが」と断っている
・「ふる」・・・雪が「降る」と身が「古る」の掛詞の部分。
後者は、「年老いる」の意味。
句切れと修辞法
- 句切れなし
- 掛詞
- 本歌取り
解説
小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」を本歌とした歌。
詞書に「落花をよみ侍りける」とある。
掛詞解説
本歌には「 わが身世にふる」の部分があり「ふる」の感じは「古る」、古くなるとの意味で、歌においては年老いることを指している。
上の歌を本歌とする百人一首の歌では、「花の色を眺めている間に年老いてしまった」の意味。
「雪ならで」の意味
一首のポイントは、3句目の「雪ならで」にある。
嵐に散る花が雪のようだ、とはいっても最初からこの雪は花の見立てで雪ではない。
さらに「雪が降る」といっても、その降るではなく、「古る」の方で、「古くなる」のも雪ではなく自分であるという話の展開がある。
「雪ならで」の打ち消しは「雪が降るの降るではないが」という意味になる。
本歌を前提として、その内容を踏まえながら、花と雪という当時の美しいとされる取り合わせを盛り込み、花から自分自身への転換を入れた工夫に満ちた歌である。
西園寺公経について
西園寺公経 1171-1244
平安末期から鎌倉前期にかけての公卿・歌人。内大臣・藤原実宗の子。官位は従一位・太政大臣。
承久の乱後摂関(せっかん)家を操縦し、太政大臣となり、孫女を入内(じゅだい)させて皇室の外戚(がいせき)となった。
多くの荘園や宋との貿易による莫大な収入で豪華奢侈を極めた。
多芸多才で、琵琶や書にも秀で、歌人としては歌合いに多数出詠。新古今集初出(十首)。新勅撰集には三十首、入集数第四位の歌人となっている。
西園寺公経の他の和歌
高瀬さす六田むつだの淀の柳原みどりもふかく霞む春かな(新古72)
時鳥なほ疎うとまれぬ心かな汝なが鳴く里のよその夕ぐれ(新古216)
露すがる庭の玉笹うちなびきひとむらすぎぬ夕立の雲(新古265)
星逢のゆふべすずしき天の川もみぢの橋をわたる秋風(新古323)
もみぢ葉をさこそ嵐のはらふらめこの山もとも雨と降るなり(新古543)
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