俊頼髄脳の現代語訳と品詞分解の掲載されているページの一覧をまとめます。
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俊頼髄脳とは
『俊頼髄脳』読みは「としよりずいのう」。
平安時代後期の歌人である源俊頼によって記された歌学書です。
歌学とは、和歌の学びであり和歌のことで、当初の形だと5巻からなったとされています。
『俊頼髄脳』の意味
意味は「俊頼」は、作者名。
作者の源俊頼は平安時代後期の歌人です。
「髄脳」の意味は、骨髄と脳、 脳髄のことで、ここでは 和歌の奥義を指します。
俊頼髄脳のあらすじ
内容は和歌にまつわる故実や伝承などを説話的に記したもので、鳥羽天皇に嫁いだ忠実の娘泰子に献上したとされる歌学書です。
歌学書というのは、和歌の教科書、指南書と考えることができます。
俊頼髄脳の現代語訳と品詞分解一覧
俊頼髄脳は、現代語訳の掲載されているページを一覧でお知らせします。
俊頼髄脳「歌のよしあし」
『俊頼髄脳』も「歌のよしあし」の部分の原文です。
歌のよしあしをも知らむことは、ことのほかのためしなめり。四条大納言に、子の中納言の、
「式部と赤染と、いづれかまされるぞ。」
と尋ね申されければ、
「一口に言ふべき歌よみにあらず。式部は、『ひまこそなけれ 葦の八重ぶき』とよめる者なり。いとやむごとなき歌よみなり。」
「式部が歌をば、『はるかに照らせ 山の端の月』と申す歌をこそ、よき歌とは世の人の申すめれ。」
と申されければ、
「それぞ、人のえ知らぬことを言ふよ。『暗きより 暗き道にぞ』といへる句は、法華経の文にはあらずや。されば、いかに思ひよりけむともおぼえず。末の『はるかに照らせ』といへる句は本にひかされて、やすくよまれにけむ。『こやとも人を』といひて、『ひまこそなけれ』といへる言葉は、凡夫の思ひよるべきにあらず。いみじきことなり。」
とぞ申されける。
現代語訳の掲載ページ
俊頼髄脳 沓冠折句の歌
沓冠折句の歌について部分の原文です。
沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌といへるものあり。十文字ある事を、句の上下(かみしも)に置きて詠めるなり。 「合はせ(あはせ)薫き(たき)物(もの)すこし。」といへる事を据ゑたる歌、
逢坂(あふさか)も 果ては行き来の 関もゐず 尋ねて来(こ)ば来 来なば帰さじ
これは仁和(にんな)の帝(みかど)の、方々(かたがた)に奉らせ給ひたりけるに、みな心も得ず、返しどもを奉らせ給ひたりけるに、広幡(ひろはた)の御息所(みやすんどころ)と申しける人の、御返しはなくて、薫き物を奉らせたりければ、心あることにぞ思し召したりけると語り伝へたる。
「をみなえし(女郎花)・花薄(はなすすき)」といへることを、据ゑて詠める歌、
小野の萩 見し秋に似ず 成りぞ増す 経しだにあやな しるしけしきは
これは、下の花薄をば、逆さまに読むべきなり。これも一つのすがたなり。
現代語訳
現代語訳は下のページをご覧ください。
俊頼髄脳「歌の八つの病」
「歌の八つの病」の部分の原文です
原文
歌の、八つの病の中に、後悔の病といふ病あり。歌、すみやかに詠み出だして、人にも語り、書きても出だして後に、よき言葉、節を思ひ寄りて、かく言はでなど思ひて、悔い妬がるをいふなり。さればなほ、歌を詠まむには、急ぐまじきがよきなり。いまだ、昔より、とく詠めるにかしこきことなし。されば、貫之などは、歌一つを、十日二十日などにこそ詠みけれ。しかはあれど、折に従ひ、事にぞよるべき。
大江山いくのの里の遠ければふみもまだみず天の橋立
これは、小式部内侍といへる人の歌なり。事の起こりは、小式部内侍は、和泉式部が娘なり。親の式部が、保昌が妻にて、丹後に下りたりけるほどに、都に歌合のありけるに、小式部内侍、歌詠みにとられて詠みけるほど、四条中納言定頼といへるは、四条大納言公任の子なり。その人の、戯れて、小式部内侍のありけるに、「丹後へ遣はしけむ人は、帰りまうで来にけむや。いかに心もとなく思すらむ。」と、妬がらせむと申しかけて、立ちければ、内侍、御簾よりなから出でて、わづかに直衣の袖をひかへて、この歌を詠みかけければ、いかにか
かるやうはあるとて、つい居て、この歌の返しせむとて、しばしは思ひけれど、え思ひ得ざりければ、引き張り逃げにけり。これを思へば、心とく詠めるもめでたし。
現代語訳の掲載ページ
俊頼髄脳「近江の国」
近江の国の部分の原文です。
原文
これは、近江の国にありける郡司のむすめ、ことのほかにかたちのよくて、光の、衣を通りてめでたきよしを、帝聞しめしければ、奉りけるを、限りなくおぼしめして、世の政もせさせ給はざりければ、親思ふところありて、世におそりて、召しこめて、はるかなる所にこめ据えたりけるを聞しめして、たびたび召しに遣はしたりけれど、参らせざりければ、賢かりける人を召して、使に遣はすとて、「かならず具して参れ。
現代語訳の掲載ページ
『俊頼髄脳』もみぢ葉の
『俊頼髄脳』もみぢ葉の 良暹 、舟遊びの部分の原文です。
その中に、良ぜん(人物名)といへる歌詠みのありけるを、殿上人、見知りてあれば、「良ぜんがさぶらふか」と問ひければ、良ぜん、目もなく笑みて、ひらがりてさぶらひければ、かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「さに侍り」申しければ、「あれ、船に召して乗せて、連歌などせさせむは、いかがあるべき」といま一つの船の人々に申し合はせければ、「いかが、あるべからず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかな、とや申さむかぎ」などありければ、さもあることとて、乗せずして、たださながら、連歌などはせさせてむ、などさだめて、近う漕ぎ寄せて、「良ぜん、さりぬべからむ連歌など、して参らせよ」と人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとて、まうけたりけるにや、聞きけるままに、ほどもなく、かたはらの僧にものを言いければ、その僧ことごとしく歩み寄りて、「もみぢ葉のこがれてみゆるみふねかなと申し侍るなり」と申しかけて、帰りぬ。人々、これを聞きて、 船々に聞かせて、付けむとしけるが、遅かりければ、船を漕ぐともなくて、やうやう築島をめぐりて、一めぐりのほどに付けて言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。