【解説】早稲の香や分け入る右は有磯海 芭蕉の歌枕の俳句  

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【解説】早稲の香や分け入る右は有磯海 芭蕉の歌枕の俳句

2023年8月27日

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早稲の香や分け入る右は有磯海 作者松尾芭蕉の「おくのほそ道」の代表作俳句の現代語訳と意味の解説、鑑賞を記します。

有磯海の場所は富山県西部にある富山湾の海で、和歌の歌枕として有名なところです。

早稲の香や分け入る右は有磯海の解説

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読み:わせのかや わけいるみぎは ありそうみ

作者と出典

松尾芭蕉 「おくのほそ道」

俳句の現代語訳

秋の実りを伝える早稲の香りが漂ってくる。その右側には有磯海が見えることだ

 

句切れ

句切れは初句切れ

切れ字

切れ字「や」

表現技法

・体言止め

季語

  • 季語は「早稲」
  •  の季語

形式

有季定型

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鑑賞

松尾芭蕉『おくのほそ道』の代表作俳句のひとつ。

芭蕉四十六歳の作。

「おくの細道」の旅

芭蕉は3月27日(陽暦5月16日)の早朝、門人曽良(そら)をと共に、奥羽加越の歌枕をたずねる旅に出た。

元禄2年7月15日に加賀、金沢に到着、その後、富山のこの枕に向かったようだ。

加賀国境の倶利伽羅峠あたりで、眼下はるかに富山湾を見下ろしてこの句を詠んだとされる。

俳句の主題と内容

秋の風物である早稲を捉えて、その右側に海があるとして、視界の広さを表現。

有磯海の海と陸両方の広い景色と共に、加賀百万石の大国のイメージをも表している。

俳句が詠まれた場所

有磯海は歌枕として有名な地であり、万葉集の大伴家持の下の歌にゆかりがある

かからむとかねて知りせば越の海の荒磯(ありそ)の波も見せ増し物を 万葉集17-

他にも 後代の慈円に

ありそ海の浦拭く風にあらねともやむ時もなく物をこそ思へ

の歌もある。

歌枕とは

歌枕とは、そこを歌った初めの作品を踏まえて、多くの人が和歌によみ込んだ名所のこと。

有磯海を読んだ短歌と俳句なら、大伴家持の歌が最初となり、この海域が歌枕と呼ばれる。

歌枕としての有磯海

この句の歌枕の場所は、富山湾。

正確には富山県高岡市から氷見市にかけての海域を指す。

有磯の元は「荒磯」で「荒磯」は元は「荒波の打ち寄せる、岩石の多い海岸」。

この海域一帯が万葉の歌枕を踏まえて、「有磯海」と呼ばれるようになった。

富山湾地図

 

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松尾芭蕉について

松尾 芭蕉まつお ばしょう1644年 - 1694年

江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。芭蕉は、和歌の余興の言捨ての滑稽から始まり、滑稽や諧謔を主としていた俳諧を、蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風として確立し、後世では俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。但し芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。元禄2年3月27日(1689年5月16日)に弟子の河合曾良を伴い江戸を発ち、東北から北陸を経て美濃国の大垣までを巡った旅を記した紀行文『おくのほそ道』が特に有名である。

-出典:松尾芭蕉 フリー百科事典wikipedia




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