契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり 作者藤原基俊の百人一首75番の和歌作品の現代語訳と、解説・鑑賞を記します。
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契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめりの解説
読み:ぎりおきしさせもがつゆをいのちにてあはれことしのあきもいぬめり
作者
藤原基俊(ふじわらのもととし)
出典
千載集(巻16・雑上・1026)
百人一首 75
現代語訳
約束してくださったあなたの言葉を蓬に一粒光る露のように頼みにしていましたが、ああ、待っているいちに今年の秋も去ってしまうようです
語句
- 契り・・・基本形「契る」 約束する
- 契り置きし・・・「契る」「置く」の複合動詞 「し」は過去の助動詞「き」の連用形 過去に約束したことを表す
- させもが・・・ 「させも」は蓬(よもぎ)のこと。「が」は格助詞で所有を表す「蓬の露」の意味
- あはれ・・・「ああ」の感動詞 「哀れ」とは別
- 秋も・・・「も」は強調
- いぬめり・・・基本形「往ぬ」「めり」は推量の助動詞
句切れと修辞法
- 句切れなし
一首の鑑賞
藤原基俊が、藤原通忠に贈った歌。
息子の抜擢を願い出て、それが果たされなかったことに対して詠まれた。
元は恋愛の歌ではなく、作者も送られた方も両方とも男性であるが、あえて恨みの恋歌の表現が用いられている。
詞書
千載集の詞書に
僧都光覚、維摩会の講師の請(しょう)を申しけるを、たびたび漏れにければ、法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、しめぢがはらと侍りけれど、又その年も漏れにければ遣はしける
とある。
現代語訳にすると
息子の光覚を維摩会の講師にしたいと言ったのに何度も選に漏れたので、入道前太政大臣に頼んでおいたのに「まかせておけ」と言われたので頼みにしておいたが、その年も選に漏れたので、そのことを詠んで贈った
歌の背景
藤原基俊の息子、光覚は出家して興福寺の僧侶となっており、興福寺では毎年10月に維摩会という維摩経を詠む法会が行われていた。
その講師になることは名誉なことであったのだが何度も選に漏れたので、藤原通忠に息子を選んでくれるよう頼んでおいたところ、「しめぢが原の」との答えをもらった。
これは、清水観音の歌
ただ頼めしめぢが原のさせも草わが世の中にあらんかぎりは
の言葉で、「ただ頼め」から、申し出の受諾で「私を頼みなさい」の意味となる。
その通り、作者基俊は、今年こそ選ばれると思っていたら、秋になってまたしても息子は選に漏れてしまった。
それを恨んで、基俊が通忠に上の歌を送ったことになる。
和歌集の『基俊集』の方にはこの県をめぐる両者の贈答歌が掲載されている。
「しめじが原」と「させも」
基俊の歌「契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり」の「させもが」は、元の清水観音の歌の「させも草」の一部を繰り返したもの。
歌を元に「しめじが原」と答えたのは、最初の歌の「させも草」の前の部分。
百人一首への採用
最初にこの歌を『千載集』に選んだのは藤原俊成で、背景事情に改編が見られ、その後、上記の背景があっても恋愛の優れた歌として扱われるようになった。
その後、百人一首にとられるにあたっては、作者の基俊と、「しめじ原」の俊頼は、75番が基俊、76番が俊頼(法性寺入道関白太政大臣の作者名)で、作者を並べた形で編纂されている。
契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり 75番 藤原基俊
わたの原こぎ出でてみれば久方の雲ゐにまがふ 冲つ白波 76番 藤原俊頼
※下の歌の解説は
わたの原こぎ出でてみれば久方の雲ゐにまがふ 冲つ白波 百人一首76番
作者藤原基俊について
藤原基俊(ふじわらのもととし)は、平安時代後期の公家・歌人・書家。。
藤原俊家の子、藤原道長の曾孫にあたる。
歌合では作者のほか、多くの判者も務め、源俊頼と共に院政期の歌壇の指導者として活躍した。
晩年には藤原俊成を弟子に迎えている。