春風や闘志いだきて丘に立つ  情景と解釈 高浜虚子  

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春風や闘志いだきて丘に立つ  情景と解釈 高浜虚子

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春風や闘志いだきて丘に立つ 作者高浜虚子の教科書掲載の俳句の意味の解説、鑑賞を記します。

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春風や闘志いだきて丘に立つ

読み:はるかぜや とうしいだきて おかにたつ

作者と出典:

高浜虚子

現代語訳

吹きつける春の風の中,強い闘志を抱きつつ私は丘に立っている

句切れと切れ字

初句切れ

切れ字「や」

季語

季語は「春風」 春の季語

形式

有季定型

解説

高浜虚子の教科書掲載の俳句。

句の中の「闘志」が、虚子の当時の状況を思わせる。

俳句の情景

この俳句の情景は、まず作者が丘に登って、眼下の風景を見下ろしながら、丘の上ならではの風に吹かれたと考えられる。

その時に、作者の中に沸き起こってきたものは、ほかならぬ「闘志」、つまり何かに向かって立ち向かおうとする強い心であったところに着目する。

作者の感動の中心

作者の感動の中心は、あえて風に吹かれる中にあって、それに反発しようとする心の状態を「闘志」と表現した背景にある。

高浜虚子は、正岡子規のあとの俳句誌の『ホトトギス』をの観光を続けていたが、河東碧梧桐らが、新しい俳句の運動を進めていた。

虚子は、子規の始めた写実主義の写生などを旨とする伝統的な俳句を詠み続けていたが、その伝統を守ろうとの決意が、この時の「闘志」であったと考えられる。

「闘志」と俳句運動の関連

日本大百科全書によると、以下のように解説されている。

1902年9月子規没後独自の道へ進んだ盟友碧梧桐は、06年8月から全国遍歴の旅信中『ホトトギス』の小説雑誌化を批判し新傾向への普及を計った。

虚子は1910年鎌倉に居を移し、また国民新聞社を辞して衰運の『ホトトギス』を挽回(ばんかい)するため12年7月号より雑詠欄を復活した。1913年(大正2)「霜降れば霜を楯(たて)とす法の城」「春風や闘志いだきて丘に立つ」の句に、碧梧桐らの新傾向句に対し、俳句伝統の定型、季語を守る守旧派の決意を表明した。

私自身のこの俳句の感想

景色の描写だけではなく、自分の強い気持ちを表しています。決意を述べた力強い俳句だと思います。

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