葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり
釈迢空の短歌の代表作品の現代語訳と句切れ、表現技法について記し ます。
高校の教科書や教材に取り上げられる作品です。
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葛の花 踏みしだかれて色あたらし。この山道を 行きし人あり
読み:
くずのはな ふみしだかれて いろあたらし このやまみちを いきしひとあり
作者と出典
釈迢空 『海やまのあひだ』
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釈迢空の短歌代表作
現代語訳と意味
誰一人行き逢う人もない山道に 葛の花が、踏みにじられて、鮮烈な色がにじんでいる。この山道を、通った人がいるのだな
語句の意味と文法解説
屑の花 | マメ科クズ属のつる性の多年草 赤紫色の花が8 - 9月の秋に咲く |
踏みしだかれて | 「踏んで荒らされる、散らされる」の意味。 「踏む+しだく」の複合動詞だが、「踏みしだく」の形で用いる |
あたらし | 「新しい」の文語の基本形。「し」が末尾 |
あり | 基本形 「いる」の意味 |
句切れと修辞・表現技法
・2句切れ
・字空けと普通短歌には使われない読点「。」が使われている
・「葛の花」のあとに、主格の格助詞「の」はまたは「は」が省略されている
・3句は6文字の字余り
解説と鑑賞
釈迢空の代表的な作品の一つ。連作「島山」の冒頭の歌で大正十三年、縄での民族調査の帰途の九州の山中で詠まれたものとされている。
なお、釈迢空は、短歌の筆名で、本名は折口信夫(しのぶ)。国文学者としての調査の途中での作品。
読点と字空けの採用
釈迢空は、アララギに最初加入したが、脱退後、北原白秋の『日光』などに参加。
写実派のアララギに対し、『日光』は象徴的な作風を目指しており、作者は、アララギでは用いなかった読点や字空けを採用するようになっている。
このようなスタイルは、伝統を離れたところの新しい短歌を作ろうという意気込みを示すものである。
「色あたらし」の時間
歌の内容は、山深い人の通らない道であるのに、人の気配を、地面の葛の花の鮮烈な色彩に知ったというもの。
「踏みしだかれて色あたらし」の「踏みしだかれて」には、人の足や姿が想像できる。
「あたらし」というのは、時間的にそれほど間がないという意味。
まるで、けもののように人の気配を体感的に感じるというもので、感覚的な上句である。
「行きし人あり」の感慨
「行きし人あり」には、人が全くいないところで、人の気配を感じ取ったこと驚きと感慨、それがこの歌の主題となる。
葛の色の印象と同じように、「人あり」に作者は心を揺さぶられている。それは、この山中が、まったく人や現世とは隔たったところであり、そこに作者の感慨がある。
釈迢空について
折口 信夫(おりくち しのぶ)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。
釈迢空は、短歌の筆名。國學院大學の教授。《アララギ》同人ののち北原白秋らと《日光》を創刊した。
歌人の岡野弘彦は弟子にあたる。
歌集は『海やまのあひだ』『倭(やまと)おぐな』など。