額田王の万葉集の和歌一覧まとめ 初期万葉の女流歌人  

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額田王の万葉集の和歌一覧まとめ 初期万葉の女流歌人

2021年11月13日

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額田王は、初期万葉集の代表的な歌人の一人です。

額田王作の和歌代表作品である、短歌と長歌3首を現代語訳をつけて一覧でまとめます。

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額田王作の万葉集の和歌の代表作品

額田王は、万葉集初期の代表的で優れた女性歌人です。万葉集に収録された和歌全作品は12首あります。

額田王作の万葉集の和歌の代表作品を現代語訳をつけて一覧にまとめました。

各短歌の詳しい解説は、リンク先の個別詳細記事にてご覧ください。

 

※額田王の人物については

額田王 ぬかたのおおきみ について知ろう 

他の歌人については

万葉集の代表的な歌人一覧まとめ

秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ

読み:あきののの みくさかりふき やどれりし うじのみやこの かりいおしおもほゆ

作者・ 額田王  万1-7

現代語訳

秋の野のみ草を買って葺(ふ)いて宿りをした あの宇治の都の 仮廬が思われることです。

 

熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

読み:にきたつに ふなのりせんと つきまてば しおもかないぬ いまはこぎいでな

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ  万葉集 1-8

現代語訳

熟田津で船出をしようと月を待っていると 月も出て、潮も良い具合になった。さあ、今こそ漕ぎ出そう

 

三諸の山見つつゆけ我が背子がい立たせりけむ厳橿が本

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ  万葉集 1-9

現代語訳

懐かしい三輪の山を眺めつつお行きなさい。愛しい夫がお立ちになっていた、あの山の神聖な樫の木のもとを

注:「紀温泉(きのゆ)に幸いでませる時、額田王の作る歌」との詞書がある。

 

三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ  万葉集 1-18

現代語訳と意味

三輪山を そんなにも隠してしまうのか せめて雲だけでも 思いやりがあってほしいのに 隠して良いものか

 

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

読み:あかねさす むらさきのいき しめのいき のもりはみずや きみがそでふる

作者

額田王 ぬかたのおおきみ 万葉集 1-20

現代語訳

紫草の生えているこの野原をあちらに行きこちらに行きして、野の番人がみとがめるではありませんか。あなたがそんなに私に袖をお振りになるのを

 

君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く

読み:きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく

作者と出典

万葉集 額田王 ぬかたのおおきみ

この和歌の意味

あなたを待って恋しく思っていたら、あなたと見まごうかのように私の家の簾を動かして秋風が吹くのです

 

古に恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が思へるごと

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ 万葉集 2-112

この和歌の意味

古を恋い慕うという鳥は、ほととぎすです。おそらく鳴いたでしょう、私がこうして昔を偲んでいるように

 

み吉野の玉松が枝はしきかも君が御言を持ちて通はく

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ 万葉集 2-113

この和歌の意味

み吉野の松の枝はいとおしい。あなたのお言葉を運んでくるとは。

※弓削皇子が吉野から苔のむした松の枝を贈って来た時、献上した歌

 

かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊に標結はましを

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ 万葉集 2-151

この和歌の意味

こうなろうと前から知っていたら、大君の船が泊った時にしめ縄を張ればよかったのに

※大君が生前に船遊びをされた浜をいう

 

額田王の長歌

長歌3首は以下の通りです。

冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂しみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし怜し 秋山我は

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ  万葉集 1-16

現代語訳と意味

春がやって来ると、鳴かなかった鳥もやって来て鳴き始める。咲かなかった花も咲くけれど、山は木が繁るので、入って行って花を手に取ることもできない。草が深いので、折り取って見ることもできない。ところが秋はどうか。秋山の木の葉を見ては、色づいたのを手に取って賞(め)でる。まだ青い葉はそのままにし、紅葉するのを心待ちにして溜息をつく。そこが楽しい。やはり秋の山が良い、私は。

※春の山対秋の山で競った際、秋の山がよいとして、額田王の見事な説得力のある長歌

 

やすみしし 我ご大君の 畏きや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと  昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや  百敷の 大宮人ひとは 行き別れなむ

作者と出典

額田王 ぬかたのおおきみ  万葉集 1-155

現代語訳と意味

わが大君の畏れ多い御陵を作っている 山科の鏡の山に夜は夜通し、昼は一日中、声をあげて泣き続けていて 大宮人たちは別れていくことだろうか

 

額田王の経歴

額田王(ぬかたのおおきみ) 『万葉集』初期の女流歌人。生没年不詳
7世紀後期の女流万葉歌人『日本書紀』に鏡王の娘とあるが,鏡王については不明。同じ万葉女流歌人で藤原鎌足の室となった鏡王女 (かがみのおおきみ) の妹とする説もある。大海人皇子 (天武天皇) に愛されて十市皇女 (とおちのひめみこ) を産んだが,のちに天智天皇の後宮に入ったらしい。この天智天皇,大海人皇子兄弟の不仲,前者の子大友皇子と大海人皇子との争い,壬申の乱などには彼女の影響が考えられる。―ブリタニカ百科事典




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