村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ
百人一首87 寂蓮法師の和歌の現代語訳と一首の背景の解説を記します。
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村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋
現代語での読み: むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆうぐれ.
作者と出典
寂蓮法師 百人一首87番 新古今集巻5
寂蓮の代表作はこちら
寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師
現代語訳と意味
にわか雨のあとの濡れている真木の葉に、白い霧がかかっている秋の夕暮れよ
・・・
語と句切れ・修辞法
一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です
句切れと修辞法
- 句切れなし
- 体言止め
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語句の意味
・むらさめ…ひとしきり、さあっと降っては、やむ雨
・ひぬ…漢字は「干ぬ」 意味は乾くこと
・真木…杉や檜、槇など常緑樹の総称
解説
寂漣法師の新古今集巻5の歌で、詞書に「五十首たてまつりしとき」とあり、これは建仁元年の「老若五十首歌合」を指しています。
通り雨によって生じた水蒸気が、まっすぐに立つ緑の木立を棒っと煙らせるという風情のある秋の肌寒くなった季節とその風景を詠んでいます。
「真木」とその他の言葉
三夕の歌の一つとなった作品「寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ」にも「真木」の言葉が使われています。
「村雨」「露もまだひぬ」「霧立ちのぼる」などはほとんど使用されない言葉で、結句「秋の夕暮れ」は、三夕の歌で有名だが、後拾遺集が初出で、頻出しない言葉となっており、一首のほとんどの言葉が寂漣の歌に新鮮味を添えているものです。
寂蓮法師について
寂蓮法師 生年未詳-1202年
俗名、藤原定長。伯父の俊成の養子となり、のち出家。 新古今集撰者の一人となったが、撰進前に没した。「新古今集」撰者に選ばれたが、完成を水に病没。歌集に「寂蓮法師集」がある。