ことばの日は5月18日。ことばの漢字「言葉」の由来は、古い時代の短歌に関連します。
きょうの日めくり短歌は「ことばの日」にちなみ、言葉に関する短歌をご紹介します。
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ことばの由来
は5月18日は「ことばの日」。518の語呂合わせにより、制定されました。
「ことば」は元々「言」「端」の組み合わせの「ことば」であったようです。
「端」の字にはあまり良い意味はなかったのですが、これを「言葉」とする人が現れました。
それが、古今和歌集を編纂した紀貫之です。
「言の葉」の仮名序
紀貫之は、歌集の序文「仮名序(かなじょ)」という部分に、下のように記しました。
やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
ことばは、ここでは、種から生じる双葉であるということです。
そして、
世の中に在る人、事、業、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものに付けて、言ひい出せるなり。
これが、言葉の発語に当たります。そしてそれがやがて、和歌となる、そうなると歌は、
力をもいれずして、天地をうごかし、目に見えぬ鬼神をも哀れとおもはせ、男女のなかをも和らげ、猛き武人の心をも慰むるは、歌なり。
ことばが歌となると、天地を動かすほど強大なものになる、というのが、紀貫之の序文で述べた和歌の意義でした。
それまでの「言の端」などではない、立派な芸術作品となるよ、というのがこの部分の要旨であり、そのツールこそが「言葉」であるというのです。
アニメ映画「言の葉の庭」
この「言の葉」というのは、意外なことに、最近ではアニメ映画のタイトルに「言の葉の庭」として用いられています。
さらにその中に主人公が万葉集の歌を提示する場面があります。
雷神の少し響みてさし曇り雨もふらぬか君を留めむ
意味は「雷が少し響いて空が曇ってきた。雨も降らないだろうか。あなたをここに留めたいから」。
まさに「言の葉」による交流といえます。
この歌の解説は
短歌においては、言葉がとても大切にされてきました。
日本の歌人で言葉にこだわりを持たなかった人はいませんが、土屋文明の次の歌を見てください。
垣山にたなびく冬の霞あり我にことばあり何か嘆かむ
終戦後の混乱した生活の中で、「冬の霞」になぞらえ、ことばあり、歌ありとして自らを励ました歌です
土屋文明は、自らの歌を詠むためばかりではなく、教育的な面からも、言葉に大きなこだわりを持ちました。
土屋文明の短歌代表作品と名言「生活即短歌」戦後歌壇とアララギを牽引
同じアララギ歌人の斎藤茂吉で思い出すのは、下の歌
最上川逆白波の立つまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
この歌の中で目立つのが「逆白波」の造語です。
門人との会話で「逆波」から思いついたエピソードが知られており、その時茂吉は
君には言葉を大切にしろと今まで何度も語ったはずだ。そうした境地の逆波という言葉は君だけのものだ.....大切な言葉はしまっておいて、決して人に語るべきものではないす。
と弟子を強く諭しています。
歌人として言葉を大切にしていたことは間違いありませんし、留学をしたのでドイツ語との比較もできたでしょうが、文明のように日本語を俯瞰して、言葉そのものを主題に包括的に歌った歌は思い出せません。
この歌の詳しい解説は
現代の歌人で「言の葉」の言葉を用いた歌で思い出すのは
言の葉の上を這ひずり回るとも一語さへ蝶に化けぬ今宵は
歌集『暮れてゆくバッハ』より、作者は岡井隆さん。
「言葉の海におぼれて」という修辞は聞いたこともありますが、こちらは、落ち葉の上を転々とするような印象です。
歌が生まれる前の苦しみの心境を表しているわけですが、「言の葉の」が美しく、これも歌詠みの楽しみの一つと思わせる内容です。
きょうのことばの日には、ぜひ短歌や和歌、詩などを通して、美しい言葉に触れてみてくださいね。
それでは!
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