山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも 源実朝の有名な和歌より実朝の代表作和歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやもの解説
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読み:やまはさけ うみはあせなん よなりとも きみにふたごころ わがあらめやも
作者と出典
源実朝 (みなもとのさねとも)
新勅撰 1204 金槐和歌集 663
現代語訳と意味:
もしこの世に山が避けたり大海が乾いて干上がったりすることがあったとしても、大王に対して二心を持つようなことは絶対にありません。
解説
天皇に対しての忠誠心を強い表現で表した歌。
歌の詠まれた背景
大君は主君である後鳥羽院を指す。
「実朝」は後鳥羽院の命名でもあり、和歌や蹴鞠などの共通する趣味もあった 後鳥羽上皇は実朝に朝廷の官位をあたえ、毎年のように昇進させていた。
「ふたごころ」とは
ふたごころとは「迷いのない心」のことで、主君に対しては「心を寄せているように見せて、実は裏切りそむく心を持っていること」表す。
「ふたごころなし」とは、「一心に」の意味である「ひとつこころ」を「ふたごころなし」と表す。
他に「二心」と書いて「にしん」と読ませる言葉もある。
「あらめやも」の修辞技法
「あらめやも」は反語表現といい、「あるだろうか…そんなことはない」と強い打消しになる。
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歌の特徴
この歌の特徴はなんといっても、迷いのない一途な心を言いきったところにある。
上句、「山はさけ海はあせなむ世なりとも」の山と海を含む広い天地のあり得ない変動の修辞は、実朝の和歌らしい雄大さである。
その景色の大きさに、自らのゆるぎない心を対比させているのだが、3句の「世なりとも」の「なりとも」の間をとって、「世」の景色から「君とわれ」に視点を転換させている。
「君にふた心わがあらめやも」の「君」と「われ」の対象性、「あらめやも」の反語は、実朝の肉声を伝えるような響きが伝えられている。
万葉集の本歌取り
この歌は、万葉集の下の歌を参考に詠まれていると斎藤茂吉があげているのが下の通り。
楽浪(ささなみ)の志賀の大曲 (おほわだ) 淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
作者:柿本人麻呂 (1-31)
実朝の「とも」「めやも」の音韻もこの歌から学んだものといえる。
斎藤茂吉の評
この一首また全身全力が中心に凝って成ったというべき根強く大きい歌であって、実朝の真面目をいかんなく発揮したものである。由来実朝は暗愚重力の青年に過ぎぬと評価してされてきたがただこの3首のみを目中に置いて評価するにしても、おおよそ愚庸柔弱の徒には絶対にこのごとき歌は詠まれぬものだということを言わねばならぬ。また朝廷に対し奉り至心純粋の一途がなければ、かくの如きの響きを表し能わざるものなることを強調せねばならぬ。総じて叙情詩は、いつわりのきかぬもの、あらそわれぬものに徹頭徹尾するからである。―
源実朝の歌人解説
源実朝 みなもとのさねとも 1192-1219
または 鎌倉右大臣 かまくらのうだいじん
源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。源頼朝の子。
将軍でありながら、「天性の歌人」と評されている。藤原定家に師事。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献された。
万葉調の歌人としても名だかく、後世、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉らによって高く評価されている。歌集は『金槐和歌集』。
源実朝の他の代表作和歌
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 百人一首93
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる 608
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも 693
炎のみ虚空に見てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし 615
くれないの千入(ちしほ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 633