大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも 源実朝  

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大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも 源実朝

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大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも 源実朝の有名な和歌より実朝の代表作和歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。

大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも

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読み:おおうみの いそもとどろに よするなみ われてくだけて さけてちるかも

作者と出典

源実朝 (みなもとのさねとも) 作者名は 鎌倉右大臣実朝

金塊集(きんかいしゅう)巻之下 (六九三)

現代語訳と意味:

大海の磯もとどろくほどに激しく打ち寄せる波は、割れて砕けては、裂けて飛び散っている。その様はまことに快いものだ。

解説

金槐和歌集の693番の歌。「あら磯に浪のよるを見てよめる」との詞書があり、万葉集に本歌取りをされている。

源実朝の特徴である万葉調のスケールの大きな歌であるところが特徴。

海の波の力強い躍動感に満ちた場面をとらえた描写が印象的な歌となっている。

この歌の詠まれた背景

建暦2年3月9日に三浦三崎海岸を訪れた際に海岸や荒磯を詠んだものとされている。

『吾妻鏡』の記載では

「建暦二年(1212)三月小九日丙辰。將軍家渡御三浦三崎御所。尼御臺所并御臺所同令伴給。相州。武州。前大膳大夫。源右近大夫將監以下扈從。鶴岳別當相具兒童等參。儲於船中。有舞樂興等云々。」

という部分がそれに該当するということを斎藤茂吉が解説で述べている通りである。

源実朝はその際20歳という計算となる。なお没したのは27歳の時である。

「われて砕けて裂けて」の反復の効果

上句は、海の広さを思わせるゆったりとした調べに始まり、下句は一転、「われて砕けて裂けて」の反復と呼ばれる修辞がみられる。

小刻みなリズムを持つ、「…て」の3度の連続は、あたかも岸に繰り返し寄せる波を思わせる効果がある。

下句は緊張した調べを持って、波の烈しさに対峙する作者の心持を伝えている。

恋愛との関連は?

テレビドラマの『鎌倉殿の13人』ではこの歌が恋の歌として下のような場面で用いられて取り上げられた。

実朝が北条泰時(坂口健太郎)に送っていた和歌「春霞たつたの山の桜花おぼつかなきを知る人のなさ」を、源仲章(生田斗真)が恋の歌だと教え、泰時は「鎌倉殿は間違えておられます」と和歌を返した。  すると実朝は「そうであった。間違えて渡してしまったようだ」と笑顔を作って受け取り、代わりに改めて「大海の-」を詠んで送った。―https://www.daily.co.jp/gossip/2022/10/16/0015729648.shtml

その際の意味は「秘めていた恋心は波のように割れて砕けて泡沫になって消えていった」というものであったようだが、歌の内容は、心や事物のはかなさを伝えるものではない。

万葉集の本歌取り

この歌は、万葉集の下の歌を本歌取りされていると言われている。

大海の磯もとゆすり立つ波の寄せむと思へる浜の清けく

作者:不詳

伊勢の海の磯もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひ渡るかも

作者:笠女郎(かさのいらつめ)

他に斎藤茂吉は同じく万葉集の

聞きしより物を思へば我が胸は破れて砕けて利心もなし

の歌をあげている。

 

源実朝の歌人解説

源実朝 みなもとのさねとも 1192-1219

または 鎌倉右大臣 かまくらのうだいじん

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。源頼朝の子。

将軍でありながら、「天性の歌人」と評されている。藤原定家に師事。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献された。

万葉調の歌人としても名だかく、後世、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉らによって高く評価されている。歌集は『金槐和歌集』。

源実朝の他の代表作和歌

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ

もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ

時により過ぐれば民の嘆きなり八代竜王雨ためたまへ 618

世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 百人一首93

山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる 608

大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも 693

炎のみ虚空に見てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし 615

くれないの千入(ちしほ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 633

正岡子規の源実朝の短歌

正岡子規は実朝を高く評価して下のような短歌を詠んでいる。

人丸の後の歌よみは誰かあらん征夷大将軍みなもとの実朝

鎌倉のいくさの君も惜しけれど金槐集の歌の主あはれ

路に泣くみなし子を見て君は詠めり親もなき子の母を尋ぬると

-明治32年「金槐和歌集を読む」より

 

「人丸」は六歌仙の一人でもある柿本人麻呂のことで、万葉集の大歌人に次ぐ存在だと源実朝を讃えている。

※正岡子規については

正岡子規について 近代文学に短歌と俳句の両方に大きな影響




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