箱根路をわが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に波の寄る見ゆ
源実朝の「金塊集」の有名な代表作の和歌より、実朝の代表作と言われる短歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
読み:はこねじを わがこえくれば いずのうみや おきのこじまに なみのよるみゆ
作者と出典
源実朝 (みなもとのさねとも) 作者名は 鎌倉右大臣実朝
金塊集(きんかいしゅう)巻之下 雑部 (593)
現代語訳と意味
険しい箱根の道を越えてくると、伊豆の海が開けている。沖の小島に白波が寄せているのが見えるよ
句切れと修辞 表現技法
3句切れ
箱根路
「箱根の山は天下の険」という歌詞が知られているが、箱根は東海道の難所といわれた
越えくれば
「…ば」 順接確定件
現代語訳は「~と」「~ところ」
伊豆の海や
- 「や」は詠嘆。海の広さに心を動かされた「~よ」の意味。
- 一首全体が詠嘆と考えて、訳は、文末に「見えるよ」とする。
- 「伊豆の海や」は6文字の字余り
よる見ゆ
- 「寄る+見ゆ」
- 「寄る」は連体形 訳は「寄るのが…」
- 「見ゆ」は動詞の基本形。意味は「見える」
解説
箱根を旅して、伊豆の意味の雄大さに感動を表す内容の歌。
建歴3年正月、箱根権現参拝を終わって、箱根から鞍掛山を経て伊豆の方に下りてくるときに詠んだ歌。
「箱根路を」の詞書
詞書には
「箱根の山をうち出てみれば波の寄る小島あり、共のものに此浦の名は知るやと尋ねしかば伊豆の海となん申すと答へ侍りしを聞きて」
万葉集の影響
万葉集を読んでから後の歌で、実朝の特徴である万葉調であることが見て取れる。
万葉集の「逢坂(おふさか)をうち出でて見れば近江(あふみ)の海白木綿花(しらゆふばな)に波立ちわたる」「波の上ゆ見ゆる小島の雲隠りあな息づかし相別れなば」を参考にしたと思われる。
賀茂真淵は「それよりもまされり」といって、万葉集を参考にしても、実朝の作の方が優れていると評した。
「伊豆の海や」の字余り
「伊豆の海や」は6文字の字余りだが、あえてここに「や」を置くことで、詠嘆の気持ちを表す。
斎藤茂吉によると「や」は、万葉集に使われる用例で、大きな休止を想定するものではないとのこと。(「金塊集研究」より)
「沖の小島」はどこか
歌に詠まれる「沖の小島」というのは、斎藤茂吉によると、伊豆の初島である。
伊豆山の走湯権現に詣でる途中の吟詠とされている。
源実朝の他の箱根の短歌
他に、箱根を詠んだものに
玉くしげ箱根のうみはけけれあれや二山にかけて何かたゆたふ
意味は「箱根の湖水は何か心があるからであろう。二つの山にまたがって、何かためらっているようだ」
山にまたがる海水を擬人化して詠んだものがあり、これも思いつきがおもしろいものがある。
「けけれ」は「こころ」の方言。
斎藤茂吉の一首評
斎藤茂吉は、この歌の元の歌、万葉集の「逢坂(おふさか)をうち出でて見れば近江(あふみ)の海白木綿花(しらゆふばな)に波立ちわたる」と比較して下のように。
この一首は、実際の吟詠であって、もはや本歌取りの弱点から脱却しているということができる。(中略)万葉の歌のような張った調べにはいかぬが、古今・新古今を通過した万葉調ともいうべく、繊細な巧を弄せぬところに尊重すべき特色を持っているのである。第三句に「伊豆の海や」と一字余りして感慨を込めたのも悪くはない。(中略)
まえの「けけれあれや」の歌とちがい、分かりよく、明快な点があるので、そのよいところが万人にも通じるのであろう。金塊集にあっては、やはり一等級の一つということができる。
源実朝の歌人解説
源実朝 みなもとのさねとも
源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。源頼朝の子。
将軍でありながら、「天性の歌人」と評されている。藤原定家に師事。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献された。
万葉調の歌人としても名だかく、後世、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉らによって高く評価されている。歌集は『金槐和歌集』。
百人一首には「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも」が選ばれている。
源実朝の他の代表作和歌
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 百人一首93
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる 608
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも 693
炎のみ虚空に見てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし 615
くれないの千入(ちしほ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 633