朝日新聞の記事に、新元号「令和」への意見があったのでお伝えします。
それを読みながら、あらためて「梅花の歌32首」の大伴旅人の序文と、旅人の梅の短歌を見直してみます。
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新元号「令和」に小島毅教授が意見
新しい元号「令和」に意見を述べたのは、東京大学で中国思想史をご専門とする小島毅教授です。
小島さんは、大伴旅人の序文「梅花の歌32首并せて序」に関して、次のように言います。
「令和」を取った「梅花の歌序文」の部分
まず、令和の出所である、序文の該当箇所を再度見てみましょう。
この序文の全文はこちらにあります。
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万葉集の「梅花の歌32首」序文全文と現代語訳
「令」と「和」の組み合わせについて
「令」と「和」のある序文の箇所は下の通りです。
初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫らす
この令月の「令」を小島さんは、「れい」ではなくて、古い呉音で読めば「りょう」であり、大伴旅人が想定したのも呉音だったろうから、「令和」の読みは「『りょうわ』でもよいのでは」と提案します。
ミニ知識
「令」「和」には直接の関係がない?
また小島さんは、万葉集の序文の原文、
初春令月 気淑風和
からいうと、「良い、めでたい」の意味の「令」と、風が穏やかになるという意味での「和」には「直接の関係がなく、結びつけるのは無理がある」と言います。
同じ上の組み合わせであるのなら「淑和」か上下逆の「和淑」だったらいいということなのですね。
「昭和」は『書経』が出典
対する「昭和」は、中国の『書経』の
百姓昭明、協和万邦
(百姓〈ひゃくせい〉昭明にして、万邦〈ばんぽう〉を協和し…
の部分から取られたのだそうですが、その国内を意味する「百姓」と外国を意味する「万邦」が対になっているので意味は通るということなのです。
「昭和」の場合と、今の「令」と「和」の組み合わせは、小島さんによると、ちょっと違うということなのですね。
梅花の歌
そして、梅花の歌に関しては、これは、旅人自身が序文でも触れている通り、「落梅之篇」という中国の詩から発案されたもので、小島教授は
咲き誇る花ではなく落ちゆく花。縁起がいいと思う人は少ないのでは
と、さらに意見を述べています。
大伴旅人の梅花の歌
梅花32首の中の、大伴旅人自身の短歌
「吾が苑(その)に梅の花散る久方の天(あめ)より雪の流れ来るかも」
については、
梅が散る様子を雪に例えており、寒々しい時代になるとの解釈もありうる
ということなのです。
「歴代元号には、為政者の理念やいい時代の到来への期待が込められてきた。」(記事)ということであり、それが「元号の意味」だということで、散る花はどうかということなのです。
序文の「落梅之篇」は中国の漢詩
そして、やはり、「梅花の歌」の元は、大伴旅人自身がいう「落梅之篇」というのは、これは中国の詩である漢詩のことなのです。
なので、「令和」が「国書である万葉集から選ばれた」ということについては、小島さんからは
初の国書という日本独自の歴史や文化の強調が、大陸伝来の文化を基盤とする、日本の伝統の成り立ちを軽視しているかのように映る
といいます。
記事を読み終えて
これを読むと、まず元号が、思いのほか大事なものだということに気づかされます。
そして、日本の古い文学や文化が中国と結びついているということも、改めて知ることができました。
万葉集というのは、当時の多くの歌を集めることが目的だったようなので、必ずしも秀歌ばかりが掲載されているわけではありません。
しかし、大伴旅人の短歌「わが園に――」は、秀歌として推す人もたくさんおり、優れた歌であるのには違いありません。
元号としての評価はともかく、「令和」に決まったことで、多くの人が万葉集に目を向けるきっかけになったことは、とても良かったと思います。
私自身も、4月になってから万葉集の短歌をたくさん読むことができました。
これも新元号のおかげと思って、これからも万葉集に接していきたいと思っています。