やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子の『みだれ髪』から有名な短歌代表作品の現代語訳と意味、句切れと修辞、文法や表現技法などについて解説、鑑賞します。
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やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
読み: やわはだの あつきちしおに ふれもみで さびしからずや みちをとくきみ
作者と出典
与謝野晶子『みだれ髪』
現代語訳
この柔らかい肌の熱い血のたぎりに触れてもみないで、寂しくはないのですか。 道学を語っているあなた
文法と語の解説
・やわ肌…柔肌 やわらかい肌 ここでは女性の肌、体のことを指す
・血汐…「血潮」が現代の表記に多く使われる
・道…人の守るべき義理。教え
「触れもみで」
・触れもみで…ふれる+みる 「してみる」の意味
「触れもみで」の品詞分解
・触れ=動詞・ラ行下二段「触る」の連用形
・も=助詞(係助詞)
・みる= 補助動詞 表記は「見」の字が使われている
・動詞の連用形に助詞「て(で)」を添えた形に付いて用いられる。
・で=助詞(打消の接続助詞)
「さびしからずや」
からずや…打消しの疑問の意を表す「ないで…だろうか」
「さひしからずや」の品詞分解
打消しの助動詞「ず」+係助詞「や」
表現技法
・4句切れ
解説と鑑賞
道を説く君に向かって、挑発的ともとれる問いを投げかけるこの歌は、当時センセーショナルであった『みだれ髪』の中でも特に物議をかもした作品の一つである。
「君死にたもうことなかれ」もそうだが、「君」という二人称に向かって少しも物怖じすることなく、思うことや考えをはっきりと述べられる強い女性像は、この時代にはそれだけでも特異なものであったと思われる。
「やわ肌の」の一首の構成
歌そのものは、「やわ肌のあつき血汐にふれもみで」が一つのまとまりとなってる。
そのあとが、問いを投げかける形でいったん終わる4句切れ。
そして、この歌が誰に向かって投げかけられているのかが、「道を説く君」とその相手が示されている。
「さびしからずや」の普遍的な問い
「道を説く君」のあとに「は」が入れば、倒置法なのであるが、「君よ」の「よ」を省略した問いかけとして読まれるのがいいだろう。
「道を説く」は、君の属性を示す一種の説明でもあるので、それを上句に入れないことの方が、むしろ、呼びかけている相手との近さが含まれ、普遍的な問いになる。
以上の語順も一首の効果を考えられてのことであったろう。
というのは、下に示すように、この歌は自分の事かと作者与謝野晶子に問いかけてきた人がおり、そのような普遍化もまた、作者の狙うところであったと思われる。
それだけに相手の内面に迫る問いが、大胆にも短歌に持ち込まれたのである。
「道を説く君」のモデルは誰か
この「君」のモデルには、特定の人物があったかどうかが議論されてきた。
もっとも文学作品というのは、一見事実のように見えても、事実とはかけ離れているものも少なくない。
それゆえ、モデルの詮索はあまり意味はないと思われるが、ただしこの歌に関しては、実在の人物から与謝野晶子に何らかの問い合わせのような言及があり、与謝野晶子が手紙の中で、その人物に謝りの言葉を書き送ったというエピソードがある。
与謝野晶子の知人の僧侶
問いてきた相手は晶子の古くからの知人の僧侶であったようで、職業上、女性と隔たって「道を説く」ことも当然なので、そう思われたのかもしれない。
しかし、いくら与謝野晶子といえども、いくら何でも僧という立場の人に思いついた歌とはあまり思えない。
しかも上句の「やわ肌のあつき血汐にふれも見で」とは、やはり誰にでもいえることではないと思われる。
「君」に与謝野鉄幹説も
後年は、やはり投稿していた与謝野鉄幹主宰の短歌結社新詩社の、鉄幹にあてて書いたものだろうという説が有力となった。
交際を始めたころは鉄幹には妻があり、さすがに晶子をいさめたりしても当然と思われるが、晶子はそれを不服としたのであったのかもしれない。
ただし、歌人同士のこととて、作品に誇張があるということは、双方が承知の上の事であったろう。
歌集『みだれ髪』の反響
いずれにしても、大胆を通り越してあまりに型破りなこの歌をはじめとして、官能的で奔放な恋愛を詠う『みだれ髪』は、ほとんどスキャンダルめいた「毀誉褒貶」の歌集、今の言葉でいうと「きわもの」すれすれのものとして世に現れ、当時の歌壇にもたらした反響や評価はいかばかりであったろうと思われる。
もっとも最初はこのように取られたのであったとしても、誰もがそののちに晶子の才能を認めるようになったのも、また当然のことである。
いずれにしても、このようなことが言い得る与謝野晶子と鉄幹の関係、そしてこのような歌をも広く取り入れた結社詩『明星』の雰囲気もベースにあったに違いない。
そのような発表の場があって、この時代に女性というハンディをものともせずに、のびのびと与謝野晶子がその詩才を花開かせることができたのは、大変に幸運なことであったと思わざるを得ない。
与謝野鉄幹は、夫として以上に指導者としても十分な役割を果たしたともいえるのではないだろうか。