アララギの歌人たち 未分類 歌人と作品

根岸庵 ゆく春~長塚節初期の短歌

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小説「土」の作者でもある家人長塚節の作品を年代順に追います。
これはその初回。

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子規に会った時の歌

子規のところを訪ねた時は子規のほとんどの作をそらんじていたと言う。

歌人の竹の里人おとなへばやまひの床に絵をかきてあり
人の家にさへづる雀ガラス戸の外に来て鳴け病む人のために(明治三十三年)

それまでの作風とは全く違うもので、古語も少なく言葉もわかりやすいのは、新聞紙上の子規の主張や作風に倣ったものと思われる。「竹の里人」(さとびと)は「竹の根岸(地名)」からの子規の号。

小説『白き瓶』によると、根岸庵、子規の部屋を初めて訪ね、線香を二本点す間に「見たままを詠むように」言われ、子規と二人作歌したという。

窓のガラスは、それまで障子だった窓に寝たままの子規に外の景色が見えるように高浜虚子が入れたもの。

枝の上にとまれる小鳥君のために只一声(ただひとこえ)を鳴けよとぞ思ふ(座上剥製の鳥あり)

子規を前にしての懸命な気持ちがうかがえる。節二十二歳、子規三十四才、四月に会う左千夫三十七才。

初期の傑作「ゆく春」

青傘を八つさしひらく棕櫚の木の花咲く春になりにたらずや
樰(たら)の芽のほどろに春のたけ行けばいまさらさらに都し思ほゆ
荒小田(あらおだ)をかへでの枝に赤芽吹き春たけぬれど一人こもり居
都辺を恋ひておもへば白樫の落葉掃きつつありがてなくに
思ふこと更にも成らず枇杷の樹の落葉の春に逢はくさびしも
春畑の桑に霜ふりさ芽立ちのまだきは立たずためらふ吾れは
くさまくら旅にも行かず木犀の芽立つ春日(はるび)は空しけまくも
にこ毛立つさし穂の麦の招くがね心に思(も)へど行きがてぬかも
おもふこと楢のさ枝の垂花(たりばな)のかゆれかくゆれ心は止まず(明治35年)

「にたらずや」なったではないか。「たける」盛りの時期・状態になる。たけなわになる。
「ほどろ」は「(ワラビの)穂が伸びすぎてほおけたもの」か。
「ありがてなし」じっとしていられない、堪えられない。「か」「あのように」の意味の副詞。

万葉集から学んで、初句が「曰くはじめは軽からむことを欲し、終わりは重からむことを欲す。これのみ」。

また結句については「終わりの一句に緊縮せよ」言葉も万葉集にみられるものが多い。

この一連は初期の傑作であるばかりでなく、節の歌風のひとつの基調、「清純で弾力のある声調」と評されている。

子規逝去の報を受けて

子規逝去の報を受けて。「この日栗拾いなどしてありければ」の詞書(ことばがき)
「ひりひて」「みか栗」は「拾いて」「いが栗」の古語。


年のはに栗はひりひてささげむと思ひし心すべもすべなさ(明治35年)
ささぐべき栗のここだもかき集め吾はせしかど人ぞいまさぬ
何せむに今はひりはむ秋風にえだのみか栗ひたに落つれど



吾が心いたも悲しもともずりの黍(きび)の秋風やむ時になしに
秋風のいゆりなびかす蜀黍(もろこし)の止まず悲しも思ひしもへば
もろこしの穂ぬれ吹き越す秋風のさびしき野辺にまたかへり見む(明治35年)

初七日に参ったあと「蜀黍のしげきが中を帰る」の詞書。
「しげき」は「繁木」生い茂った木。







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