【のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ】佐佐木幸綱  

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【のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ】佐佐木幸綱

2022年6月22日

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「のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ」 佐佐木幸綱の教材にも取り上げられた掲載の有名な短歌代表作品の解説、鑑賞を記します。

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のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ

読み:のぼりざかの ペダルふみつつ こはさけぶ まっすぐ そうだ どんどんのぼれ

現代語訳

現代の言葉である口語で詠まれた短歌なので、現代語はそのままです。

作者と出典

佐佐木幸綱

句切れと表現技法

・3句切れ

・現代語 口語短歌

・読点やクエスチョンマーク記号の使用

 

解説

現代の歌人、佐佐木幸綱の歌。

現代語で詠まれた歌なので、歌の内容はそのまま、情景を詳しく想像してみることとする。

短歌の情景

子どもが自転車を練習しているところを父である作者が見守っているという情景を詠んだ歌。

「まっすぐ?」は子どもが発した言葉そのままで、疑問のしり上がりのイントネーションを、クエスチョンマークの記号であらわしている。

かぎ括弧の違い

そのあとの、「そうだ、どんどんのぼれ」の部分は、かぎ括弧はついておらず、父の心の中の言葉といえる。

かぎ括弧のありなしによって、父である作者の心情を理解することが、この歌の大切なポイントとなるだろう。

「そうだ、どんどんのぼれ」の父の気持ち

子どもの問いに、父は何らかの応答を返したはずであるが、かぎ括弧「そうだ、どんどんのぼれ」は、まず最初の「そうだ」が子どもへの問いへの肯定でありながら、読点で「どんどんのぼれ」とすぐさま続けている。

そのため、この際の「そうだ」は、「どんどんのぼれ」の方への肯定の意味が強く、それが「どんどん…」に先んじて表されていると考えられる。

つまり、「そうだ」は、子どもへの応答と賛意でありながら、「どんどんのぼれ」という父自身の思いを同時に強めている。

一首の構成

一首の部分の発話とその主体をまとめると、下のように分けることができる。

「のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ」というのは、ごく普通の短歌の記述であり、情景を述べている部分。

これによって、子どもが上り坂で自転車をこいでいることがわかる。

「まっすぐ?」は子どもが問いを発したその言葉で、かぎ括弧と「?」でそれが表される。

「そうだ、」の大切な機能

「そうだ、」は、子どもの言葉「まっすぐ」に「そうだよ」と答える言葉である。

しかし、句点でつながれたその下の「どんどんのぼれ」は、もはや子どもの言葉ではなく、父の「言葉」となっている。

この移行を不自然な感じがなく可能にするのは、「そうだ」の言葉が、子どもと父両方に共通する意味を持っているからといえる。

子どもの問いへの肯定と、自分自身の心情「どんどんのぼれ」の父自身の思いの発露とその強調の両方で「そうだ」が機能している。

ゆえに、子どもと父、両方の発するべき言葉の中央に「そうだ」を置くことで、その両方への言及が可能になる。

「そうだ、」は一見意味に乏しい言葉だが、大切な機能を担う言葉であることがわかる。

子どもと父の順序

この歌は、まず、子どもの発話があって、父の心の声「どんどんのぼれ」は、そのあとになる。

父の思いを最初から述べるのではなくて、子どもの言葉にこたえる形で述べているという点で、親の子どもの自律を重んじながら、はぐくみ育てようとする支持的な姿勢がうかがえる。これもわかりやすく言うと「親心」というものであろう。

そして、最初の「のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ」も、写実的な歌の詠み手である作者である父の叙述である。

この歌の主題は子どもにあるのではない。

自身の子どもをはぐくむ親心への発露を、上述した巧みな構成によって、その親の心の深さを表す、それがこの歌の主題である。

言葉のジレンマ

短歌などの詩歌はいわば「言葉の芸術」であるが、興味深いことに、父の言葉はその場で発語されたものではない。あくまで、父の心の中に浮かんだともいえない思いであろう。

構成も言葉も的確な一首であるが、実は、言葉にはなっていないものが歌の主題であり、作者が伝えたいところである。

最初から言葉として表せるものが短歌の主題ではない。

言葉としておかれていないもの、言葉以前のものが作者の思いであり、そこに詩歌の成立が依存するところに、短歌の意味とおもしろさがあるといえる。

この歌には、父の深い思いを表すような言葉は、実は何一つないことにも気づくだろう。

言葉だけを見る限りでは、子と父の間で自転車の進行に父は、ただ「どんどんのぼれ」といっただけである。

短歌の意味は、鑑賞によって生まれるともいえる。

そのような歌は優れた歌だが、このような秀歌を生むのも、また親の愛が根底にあるということも気づかせてくれる。

佐佐木幸綱の他の代表作短歌

俺は帰るぞ俺の明日へ黄金の疲れに眠る友よおやすみ

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず

俺は帰るぞ俺の明日(あした)へ 黄金の疲れに眠る友よおやすみ

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佐佐木幸綱について

佐佐木幸綱 ささきゆきつな

佐佐木 幸綱は、日本の歌人、国文学者、日本芸術院会員。「心の花」主宰・編集長。現代歌人協会前理事長。早稲田大学名誉教授。曽祖父の佐々木弘綱、祖父で文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱、母の佐佐木由幾、長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。―出典:佐佐木幸綱『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』

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