秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 百人一首1番 天智天皇  

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秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 百人一首1番 天智天皇

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秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は 露にぬれつつ

百人一首の天智天皇作とされる有名な和歌、代表的な短歌作品の現代語訳と句切れと語句を解説します。

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秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は 露にぬれつつ

読み:あきのたの かりほのいおの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

作者

天智天皇

出典

万葉集の巻十・2174番歌

百人一首 1番歌

作者に関する補注:

原型は『万葉集』にあり、作者は「詠み人知らず」とされている。

口伝えにされているうちに、『後撰集』に収録の時から天智天皇の作とされるようになったという説がある

現代語訳

秋の田の傍にある仮小屋の屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れてゆくばかりだ

 

句切れ

句切れなし

語と文法

語と文法の解説です。

・かりほの庵・・・仮の庵(いおり)のこと

・苫(とま)・・・管(すげ)や茅(ちがや)などで編み、屋根をふいたもの。草の屋根。茅葺き屋根など。

・あらみ・・・「目があらい」の意味。漢字だと「粗み」が適切。
形容詞「あら(粗)し」の語幹+接尾語「み」

・衣手(ころもで)・・・着物の袖。 たもとのこと

「ぬれつつ」の文法解説

・ぬれつつ・・・「つつ」は[接助]動詞・動詞型助動詞の連用形に付く。

和歌においては、「つつ」が、末尾に用いられると、下に続く語の意味を言外に含めて余情・感動を表す。

「…てはまた…していることよ。ずっと…しつづけていることだなあ」と訳す。

「何々しながら」の意味の「つつ」とは別の意味の言葉。

解説と鑑賞

天智天皇は天皇に即位をする前に中臣鎌足と大化の改新を行ったことで知られている人物です。

この作品が天智天皇の作とされたのは、『後撰和歌集』(ごせんわかしゅう)になってからです。

『万葉集』にある本歌原作

この歌は百人一首より前の『万葉集』にも収録されていましたが、万葉集では作者がわからない「詠み人知らず」とされていました。

その後、口伝えにされるうちに天智天皇の作とされたようです。

万葉集の元の和歌

万葉集の元の歌は、万葉集巻10-727の詠み人知らずの以下の和歌です。

万葉集: 秋田刈る仮盧(かりほ)を作りわがをれば衣手さむく露ぞおきにける

百人一首: 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ

どこに違いがあるのかというと、まず百人一首の歌の方が洗練されています。

万葉集の「わがをれば」は、百人一首の下では、言わずもがなとしてなくなっています。

また、梅雨の原因を「庵の苫をあらみ」として、住居の様子の描写を入れています。

「衣手さむく」は、直截な表現ですが、「わが衣手は」とすることでより上品な感じとなります。

原作の「露ぞおきにける」の係り結びの連体形止めよりも、結句の「露にぬれつつ」に置き換わることで余韻を出していることも伝わります。

作者を天智天皇とする効果

この歌の作品の内容は、「小屋に寝ていると雨に濡れてしまう」ということで、農民が歌ったとしたら通常の生活の断片です。

しかし、天智天皇の作とすることで、高 貴な人が小屋に寝泊まりすることで、「露に濡れつつ」という珍しい事態への出会いが生まれました。

身分の高い人が実際に小屋に寝泊まりはしなくても、農民とその生活に思いを寄せる慈悲深い天皇という認識が生まれ、そのため一般にも親しまれる歌となりました。

平安朝を作り、新しい世を作った天皇の理想的な歌、これを、百人一首の一首目に置くことで、百人一首の印象も違ってくるでしょう。

天智天皇作の第一首には、こうして大きな意味が与えられたのです。

神嘗祭とは、その年に収穫された新穀、特にお米を、日本の氏神様である「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」様に捧げ、神様からいただいた恵みに感謝するお祭りです。

天皇は、皇居の田で自ら育てた稲穂を伊勢神宮に献進し、神宮を遙拝。

そうして神嘗祭が執行されるほか、日本全国の神社でもこれを奉祝するという大変大きな祭典なのです。

天皇と稲

もう一つ、天皇と秋の実りである稲には大きな関係があります。

10月の神嘗祭、すなわち「天皇陛下が自ら作り実った稲を天照大神に捧げる」を思うと、この和歌の意味がよく理解できると思います。

神嘗祭とは、その年に収穫された新穀、特にお米を、日本の氏神様である「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」様に捧げ、神様からいただいた恵みに感謝するお祭りです。

天皇は、皇居の田で自ら育てた稲穂を伊勢神宮に献進し、神宮を遙拝。

そうして神嘗祭が執行されるほか、日本全国の神社でもこれを奉祝するという大変大きな祭典なのです。

天皇が「秋の田」を詠むということは、民の暮らしに心を寄せるのみならず、稲の稔りと天皇との深い結びつきを思わせます。

そういうことからも、この歌が天智天皇作とされてもさほど違和感がなかったとも考えられます。

一首の意味

内容は農作業に従事する農民の生活の一場面を歌った歌です。

秋の田に稲がたわわに実る頃、鳥や獣から実りを守るため、田んぼで寝泊まりをしている時の光景です。

寝泊まりしているのは「かりほの庵」、つまり、農作業の間の仮の小屋の屋根が、簡素な草の屋根であり、その間から雨が降ってくる、そして自分の袖が濡れてしまう。

内容を見ると、天智天皇が到底そのようなところに泊まるとは思えないので、やはり農民か領主自らが、生活の一シーンを歌ったもののように思えます。

農作業の時の作業歌

この歌の成立の別な説では、農民が農作業の時に集団で歌った歌とも言われています。

このような歌を作業歌と言います。

作業の時に皆でリズムをとって道具を使ったり、作業効率を上げるために自分たちで歌ったいわばBGMです。

近年ならたとえば「よいとまけの歌」などを思い出してみると、作業歌の性格がわかるかと思います。

いずれにしても、万葉集の原作と比べると、百人一首の方は改作がなされておりはるかに洗練された形となっており、農民への理解のある慈悲深い天皇像が表されたものとも言われています。

そういう意味では、「天智天皇の作」とする背景を踏まえて理解するのが望ましいと思われます。

関連の和歌

同じ秋の田の情景を詠んだ歌に聖武天皇の下の歌があります。

秋の田の穂田(ほだ)を雁(かり)がね暗けくに夜(よ)のほどろにも鳴き渡るかも

作者:聖武天皇

意味は

「秋の田の穂が稔る田を雁がまだ暗い明け方にも鳴き渡ることだ」

というもので、「雁」は「かり」と読み、稲刈りの「刈り」との掛詞となっています。

解説記事:
秋の日の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも 聖武天皇

天智天皇の弟の和歌

他にも、天智天皇の弟大海人皇子に関しては、額田王との贈答歌の

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひめやも

がよく知られています。

こちらは逆に貴族的な生活と、その中での恋愛模様を詠ったもので、披露された場所も宴会の時とされています。

 

天智天皇の娘持統天皇の和歌

また、百人一首の2番目の歌は持統天皇作ですが、持統天皇の父が天智天皇にあたります。

春過ぎて夏きたるらし白妙の衣干したり天の香具山

この歌もたいへん有名な歌で、万葉集の他、百人一首にもとられています。

持統天皇の歌は下の記事で読めます。

 

天智天皇とは

第三八代天皇(在位六六八‐六七一)。舒明天皇の子。母は皇極天皇。葛城皇子かずらきのおうじ、中大兄皇子ともいう。中臣鎌足と謀って蘇我氏を滅ぼし、孝徳・斉明両朝の皇太子として大化の改新の諸政策を行なった。。庚午年籍こうごねんじゃくを作り、近江令を制定し、内政の整備に努めた。―大辞泉より




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