春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空 藤原定家  

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春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空 藤原定家

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春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空

藤原定家の新古今和歌集に収録されている有名な和歌の現代語訳と意味、表現技法の解説、鑑賞を記します。

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春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空

読み: はるのよの ゆめのうきはし とだえして みねにわかるる よこぐものそら

作者と出典

藤原定家

新古今和歌集 巻第一 春歌上 38

現代語訳と意味

春の夜の、浮橋のようなはかなく短い夢から目が覚めたとき、山の峰に吹き付けられた横雲が、左右に別れて明け方の空に流れてゆくことだ

句切と表現技法

  • 句切れなし
  • 結句は体言止め

語句と文法

  • 夢の浮橋・・・夢の中のあやうい通い路。また、はかないものの意
  • とだえして・・・動詞「とだゆ」の連用形「とだえ」+動詞「す」の連用形「し」+接続助詞「て」
  • 峰に別るる・・・「峰に」の「に」は現代語の「で」。地点を指し示す。「別るる」は「わかる」の連体形
  • 横雲・・・ 横に長くたなびく雲。多く明け方に東の空にたなびく雲をいう




解説と鑑賞

三夕の歌に並ぶ藤原定家の名作の一つで、新古今和歌集の代表的な作品としてよく知られている。

「春の夜の夢の浮橋が途切れると、空には峰にふれて別れていく横雲が見える」として、夢の名残と現実とが交錯する時空を表す、ロマン性にあふれた名歌といえる。

塚本邦雄のこの歌の概要は

逆遠近法に近い郡上の山山の上部がわずかに淡紅、株は黒紫、銀泥でひとはけの横雲の人幅が目に浮かぶが、歌そのものはさらに豊麗ではるばるとおぼろな境にふくらみ、書面外の無限の世界に広がってとらえることができない。ぴたりと決まった揺るぎのない夢幻の定着という点では古典現代を通じてこれに及くものはなかろう。―『定家百首』

本歌取りの歌

この歌の本歌としてあげられるのは下の和歌

霞立つ末の松山ほのぼのと波に離るる横雲の空

新古今集37 藤原家隆

「恋」の暗示

景色だけを読んだように見え、「恋」は明示されていないが、「春の夜の夢」の甘い浪漫性に、思い人との関連が暗示されている。

恋の成就を夢に見ているということは、実際には思いが遂げられない、逢えないでいる状態だろう。

二つの雲の間を渡す雲は、作者と作者の思い人との間をつなぐ架け橋なのだが、それは、孤(ひと)り心、または片恋のはかない「夢の浮橋」にしか過ぎない。

塚本はこれについて「暁の別れ、すなわち後朝の暗示を察してもよいが、これは末の末のこと、しかもかすかに感じておく方がよい」(同)と述べている。

歌の重層性

「夢からふと覚めてみると、さっきまでのこころよい幻想は終わり、それまでは一つとなってたなびいていた、山の峰の雲も二つに分かれてしまっている。まるで、私とあのお方のように」

というのが、明示されてはいないが、一首に暗示されている内容となる。直截ではないがそのような暗示が歌を深くするものとなっている。

夢の世界、恋の暗示、そして、この後に述べる、自らの心を写すような実際の情景が、階層の違うカテゴリーのものとして同時に詠み込まれているという複雑な構成となっている。

「幽玄」と「有心」

藤原定家自身が、分類として挙げた、父藤原俊成の「幽玄」と、定家自身の「有心(うしん)」を体現する作品の一つと言える。

有心の定義

余情を重んじた高度の象徴美で、内容・用語・格調などが融合するところに生じる、はなやかな情趣をいう

※「幽玄」の解説
幽玄の意味を解説 古今集藤原俊成の和歌の美とは?例文あり

状景に一致する作者の心

この歌のもう一つ優れているところは、夢の浮橋をはじめとする、内面を表すものがそのまま外にある事物と直結している点だろう。

景色が景色として独立しているのではなく、添景ともやや違う印象で、外に見えているものがそのまま内面と並行し、外の事物が作者の心をそのまま体現するような効果を持っている。

本来背景であるべき情景が、いつの間にか作者の心とぴったり一致するものとなるようになっている。

夢から覚めてみる嶺の様子もまた、作者の夢の続きとなっている。外界を含めて不思議な印象を受けるのはそのためだろう。

塚本邦雄のこの歌の評

歌人、塚本邦雄のこの歌の評は以下の通り

この歌は完璧な形而上学であり、上を人事、下を自然などと二分して考えるのは邪道に類しよう。「夢の浮橋」なる造語については源氏物語の最終感銘を引き合いに出すのが定説であるが、他にも説は十指に余るくらい出ており、それもごく控えめに念頭に置く程度で十分だろう。
橋はもとより、此岸と彼岸をつなぐルートの象徴であった。浮橋は雲のために生まれた必然の修辞であり、「とだえして」とひびき合うものだ。―『定家百首』より

藤原 定家について

藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人。

読みは「ていか」と読まれることが多い。父は藤原俊成。

日本の代表的な新古今調の歌人。『小倉百人一首』の撰者。

作風は、巧緻・難解、唯美主義的・夢幻的と言われている。

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