台風の短歌、古来、台風は、「野分」(のわき・のわけ)と呼ばれてきました。
台風と思われる「野分」の詠まれた短歌を、藤原定家の他、斎藤茂吉、島木赤彦他の短歌作品からご紹介します。
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台風・野分の短歌
台風という言葉は古くからのものでなく、古い時代は、台風は野分(のわき、のわけ)と呼ばれていたようです。
辞書では
野分(のわき、のわけ)
《野の草を風が強く吹き分ける意》秋から冬にかけて吹く暴風。
となっています。
源氏物語の「野分」
野分で有名なのは、源氏物語の第28巻の巻名。
「野分きの吹き荒れたあと、夕霧の見た紫の上や明石の姫君(明石の中宮)のようすなどを述べる」という内容です。
「野分」俳句の季語
また、野分は俳句の季語なので、どちらかというと、俳句の方で多く使われる言葉となっています。
見所のあれや野分の後の菊 芭蕉
大いなるものが過ぎ行く野分かな 高浜虚子
野分の短歌
野分の詠まれた短歌を古いものからご紹介します。
荻の葉にかはりし風の秋のこゑやがて野分の露くだくなり
読み: はぎのはに かわりしかぜの あきのこえ やがてのわけの つゆくだくなり
作者と出典
藤原定家 『玉葉和歌集』 巻5-0627
この和歌の意味
荻の葉に吹く風の音も秋の声が聞かれるようになった。やがて野分がその露を砕いてしまうのだ。
藤原定家の他の作品解説
絶間なきものの響やわれひとり野分だつ庭にいで来たりける
読み:たえまなき もののひびきや われひとり のわきだつにわに いできたりける
作者と出典
斎藤茂吉 『あらたま』
この和歌の意味
絶え間のない風の響く音か。私はひとりで野分の吹き過ぎる庭に出てきたのであった
野分すぎてとみにすずしくなれりとぞ思ふ夜半に起きゐたりける
作者と出典
島木赤彦
この和歌の意味
台風の過ぎて涼しくなったと思う夜中に眼を覚まして起きている
この頃の赤彦は、人生の「寂寥所」という言葉を残しており、孤独で静かな心持を表していると思われます。
他に、島木赤彦の嵐の短歌
嵐の湖搖りゆる栗樹の青いがに燕の雛の群れてゐる見ゆ
絶え間なく嵐にゆるる栗の毬にうち群れてゐる燕は飛ばず
嵐のなか起きかへらむとする枝の重くぞ動く青毬の群
島木赤彦の短歌『切火』『氷魚』歌集の特徴と代表作品・「寂寥相」への歩み
吹きとよむ野分榛原ひよどりの飛びたつ聲はなほ悲しけれ
作者と出典
土田耕平
この和歌の意味
音を立てて榛原(はいばら)を吹き荒れる野分、その中に、懸命にひよどりが飛び立つ声が聞こえればなお悲しい
土田耕平は島木赤彦に師事、妻子はありましたが、病弱で就労することなく、孤独な生涯でした。
他に
日にけに野分つのりて空明し三原の煙立たずなりしか
芋の葉の破(や)れ葉大きく揺らぎ居り野分の空はただに明るし
うつせみのわが寂しさや柿の葉を吹きちらす野分(のわき)一人してきく
作者と出典
五味保義
この和歌の意味
生きてある私の寂しさよ。柿の葉を拭き散らしていく野分の風の音をこうして一人聞いている
五味保義は、この時、母を看取った後であり、「うつせみの」は、死者と自らの対比する語です。
五味保義はほかに、「疾風」(はやて)の短歌も詠んでいます。
疾風(はやちかぜ)とよもす篠原の中をゆく妻が眼鏡のひかるさみしさ
念(おも)ふにし堪えがたくして出でて来し最上川岸に風おらび吹く
以上、思いつくまま、台風の「野分」の短歌をご紹介しました。
台風は4文字、「のわけ」は3文字であり、風情ある言葉だと思います。
どうぞ、ご自分で詠まれるときの参考にしてみてくださいね。