万葉集

万葉集を作った人 編纂者は大伴家持 歌日記と万葉集最後の和歌

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万葉集は奈良時代の日本でもっとも古い和歌集です。万葉集を作った人、編纂者は大伴家持といわれています。

万葉集の成立と編纂について記します。

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万葉集の成立までの年代

万葉集とは日本で最も古いとされる歌集です。

成立したのは奈良時代の末期とされていますが、最初の歌は、雄略天皇 西暦418年生まれとされており、万葉集が完成したとされるのが、783年、その間が365年あることになります。

雄略天皇最初の歌は
万葉集 最初の巻頭歌 「籠もよみ籠持ち」雄略天皇作長歌

万葉集について
万葉集とは古代の詩歌集!いにしえの心にふれてみよう

 

万葉集の編纂

成立までの年代が長いこと、さらに、収録された数が膨大なことから、万葉集を編纂したのは、一人の人ではないことがわかっています。

万葉集を含む当時の書物は、すべて紙を丸めた巻物に記されており、初期の頃は、それを切り貼りして長くつないだものでした。

つまり、それまで既に巻物の紙に記されていた和歌をそのままつなげたものであったと考えられています。

何らかの形で保存されていたそれらの巻物をいつつないだのか、誰がつないだのか、などの詳しいことは、あまりに古い時代のことであるので、はっきりとはわかっていません。

複数の人が関わったということは、これまでの資料の考証から推測がなされています。

万葉集を作ったのは大伴家持

その中でも、大伴家持(おおとものやかもち)は、万葉集の編纂に大きく関係しているとされています。

日本古典文学全集の解説によると

これら編纂者の中にあってもっとも中心的な役割を果たし、自家の資料を多数提供しみずから率先してかなりの数の巻々の整理をを行ったのが大伴家持であったと思われる。―小学館 日本古典文学全集「万葉集(1)」

と記されています。

大伴家持が編纂者であるとする理由

その理由はいくつかありますが、下の2点、

  • 17巻からは大伴家持の”歌日記”のようになっていること
  • 大伴家持の歌が万葉集最後の歌であること

が大きな手掛かりとなるかもしれません。

家持の最後の歌は

17巻以下について解説からまとめると

巻17巻以下の4巻は歌を中心とした大伴家持の身辺記録で年月日を追って書き継がれており、巻14までにあったような部立別を最優先する方式の編纂ではない。時に時代を遡って天平さらには飛鳥、藤原の頃の作をのせることもあるが、それも家持が折に触れて見聞したものを余さず丹念に採録した努力の結果と考えられる―小学館 日本古典文学全集「万葉集(1)」

 

大伴旅人の一族と和歌

また、大伴家持の父、大伴旅人は「梅花の歌」の梅花の宴を自ら開催し、和歌を多く残しています。

大伴旅人とその一族は和歌に大きな関心を持っており、上の開設の「自家の資料」というのは、そのような和歌に関する所蔵品と巻物が多数あったことがうかがえます。

そのため、大伴家持自身も、万葉集の主要な歌人として、多くの秀歌、佳作を残していもいるのです。

特に後期歌人として、万葉集に新しい方向性を示した作品も見られます。

大伴家持の代表的な和歌はこちらから読めます。

大伴家持『万葉集』の代表作短歌・和歌一覧『万葉秀歌』より







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