あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の声 作者山部赤人の万葉集の代表的な和歌を鑑賞、解説します。
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あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の声
読み:あしひきの やまたにこえて のづかさに いまはなくらん うぐいすのこえ
作者と出典
山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)
万葉集 3914
現代語訳
山や谷を越えてはってきて野原の真ん中で今は羽ばたいているだろう鶯の声よ
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句切れと修辞
- 句切れなし
- 体言止め
語と文法
あしひきの…「山」にかかる枕詞
野づかさ…野にある小高いところ 丘陵
解説と鑑賞
題詞に「春鶯を詠む歌」とある。
「あしひきの山谷越えて野づかさに今はと羽振くうぐひすの声」との違う版もあり、「セミナー万葉の歌人と作品」ではこちらの歌が採られている。
「山谷」は山と谷の意味で、元が世間から遠ざかったところを指す。
さらに、「越えて」というのは、そこを遠く離れたところを差し、人気のない野原でのびのびと春を楽しむかのような鶯を詠んでいる。
「鳴くらん」は未来と推測なので、声そのものが詠まれているわけではなく、鶯が今鳴いて居るというのではない。
そのため、赤人が病床にあった折に詠まれたのではないかという説がある。
斎藤茂吉の一首評
斎藤茂吉は『万葉秀歌』でその点には特に触れず、家の中で詠んだという解釈もできると述べている。
一首は、もう春だから、うぐいすなどは山や谷を越え、今は野の上の小高いところで鳴くようにでもなったかと言うので、一般的な想像のようにできている歌だが、不思議に浮かんでくるものが鮮やかで、濁りのない清淡とも言うべき気持ちのする歌である。
それだから、家の中で鶯の声を聞いて、その声の具合でその場所野づかさだと推量する作歌動機と解釈することもできるし、そうする方が「山谷越えて」の句にふさわしいようにも思うが、しかしこの辺りのことはそう詮索せずとも鑑賞しうる歌である。―出典:斎藤茂吉『万葉秀歌』より
山部赤人の他の和歌
すべて解説ページあり。
山部赤人について
山部赤人 (やまべのあかひと) 生没不詳
神亀元年 (724) 年から天平8 (736) 年までの生存が明らか。国史に名をとどめず、下級の官僚と思われる。『万葉集』に長歌 13首、短歌 37首がある。聖武天皇の行幸に従駕しての作が目立ち、一種の宮廷歌人的存在であったと思われるが、ほかに諸国への旅行で詠んだ歌も多い。
短歌、ことに自然を詠んだ作はまったく新しい境地を開き、第一級の自然歌人、叙景歌人と評される。後世、柿本人麻呂(かきのもとの-ひとまろ)とともに歌聖とあおがれた。三十六歌仙のひとり。