思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
小野小町の有名な和歌、代表的な短歌作品の現代語訳と句切れと語句、小野小町の短歌の特徴と合わせて解説します。
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
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現代語での読み: おもいつつ ねればや ひとの みえつらん ゆめとしりせば さめざらましを
作者と出典
小野小町 古今集巻12・恋歌2・552
現代語訳
思いながら寝ればその人に夢で逢えるだろう 夢とわかったならば、覚めないでいてほしいものを
句切れと修辞
- 3句切れ
- 係り結び
句切れについて
短歌の句切れを解説 短歌の用例 寺山修司の短歌から
係り結びの解説
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説
語と文法
語と文法の解説です
思ひつつ
思ひつつ・・・「つつ」は接続助詞。
動詞や動詞型活用の助動詞の連用形に付く。
その動詞の指す動作・作用が継続、または反復する意を表す。
寝ればや
寝ればや「や~らむ」が係り結び 下に解説
人の
「人」は思い人、恋人を指す。
見えつらむ
・「見え」 基本形「見ゆ」
意味は、姿を見せる、現れる
・「つ」は強意の助動詞。「つ」
・「らむ」は推量の助動詞。
「らむ(だろう)」の部分までが、前の疑問の助詞「や」を含めて疑問として訳せる
知りせばの品詞分解
・知りせば 「せば…まし」までが反実仮想の構文
意味は、実際には知ってはいないのだが、「もし、知っていたならば」の意味。
反実仮想とは
反実仮想は事実と反対のことを想定することで、 「もし~だったら… だろうに」のような言い方をいう。
覚めざらましをの品詞分解
覚め | 基本形「覚む」の連用形 |
ざら | 打消しの助動詞 基本形「ざり」の連用形 |
まし | 反実仮想の助動詞 |
を | 〔感動・詠嘆〕…なあ。…なのになあ。…よ。 文末に用いる。 |
解説と鑑賞
小野小町の恋愛の贈答歌の一首。
歌の背景
「夢にあなたを見た」という出来事を、歌にして相手に自ら直接詠い聞かせたとされる。
添い遂げることもなく、なかなか逢うことのかなわない相手への思慕の情を、「せめて夢の中だけでも」と述べることで表現している。
一連の構成
小野小町の歌集『小町集』では、ある時夢に人の姿が見えたので、
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
と詠んだのを、恋人に語ったら「あわれなことだ」と言われたので、さらにそれに対して詠んだ返歌が
花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
(現代語訳:桜の花はむなしく色あせてしまった。空しくも過ごす私の容色が衰えてしまったように)
とされている。
会えないでいるうちに花が色あせるように、自分の美しさも衰えてしまったという、悲しみを相手に告げて訴えている内容の歌。
解説 花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
一連の歌には、小町の歌の発想の特色がよく現れているので、続けて読んで味わってみたい。
小野小町の夢の和歌
古今和歌集の小野小町の夢の他の和歌は以下の通りとなっている。
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
うたたねに恋しきひとを見てしより夢てふ物は思みそめてき
いとせめてこひしき時はむは玉のよるの衣を返してそきる
1首目は、夢の中に愛しい人が見えたので、覚めなければよかったというもの。
2首目は、また夢の続きで、夢に恋人と会えたので、夢が大切になったという。
3首目は、恋しくてならない時は、夢が見られるという言い伝えの通り着物を裏返して着るという。
それぞれの歌の詳しい解説は
小野小町の他の和歌
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば 事ぞともなく明けぬるものを
今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへに うつろひにけり
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると 見るがわびしさ
小野小町はどんな歌人
六歌仙に選ばれたただ一人の女性歌人で、歌風はその情熱的な恋愛感情が反映され、繊麗・哀婉、柔軟艶麗と評される。
『古今和歌集』を編纂した紀貫之は序文「仮名序」において、『万葉集』の頃の清純さを保ちながら、「なよやかな王朝浪漫性を漂わせている」として小野小町を絶賛しており、和歌の腕は随一とされていた。
小野小町の謎
ただ、それほどの名をはせた歌人でありながら、小野小町がどのような立場の人だったのかははっきりわかっていない。
遺された歌を見ると、小野小町は実際多くの相手との恋愛の贈答歌を交わしている。
中には「かぎりなき思ひのまゝに夜も来む夢路をさへに人は咎めじ」など、いわゆる禁じられた恋を詠ったものもあるので、思いが実らない、結婚できないうちに年を取ってしまったと解釈をすることもできる。
一方では、小野小町は結婚ができない宮中、特に後宮の女官のような立場であったという説もある。
あるいは和歌に恋愛へのあこがれを詠みながらも、自由な立場で実際に恋愛をできるような人ではなかったとも言われている。
しかし、作者がそのような立場であるからこそ、和歌のみが恋の場であり、男性と意を通わせる手段であったので、後世に名前が残るような傑作となる和歌を作り得たとも推測できる。
小野小町について
小野小町 (おののこまち)生没年不詳
平安時代前期の女流歌人。承和~貞観中頃 (834~868頃) が活動期とされる。
六歌仙、三十六歌仙の一人。
身分は更衣や采女 (うねめ) などとする説がある。
他に、小野氏出身の宮廷女房という説もあるがはっきりしていない。
『古今集』に収められた小町の歌は18首。
他の勅撰集に 42首余入集、歌集に『小町集』がある。
他に「小町」は俗に美人の代名詞として用いられることがあり、「○○小町」との言い回しも多数使われている。