米百俵の日。長岡藩の訓戒「米百俵の精神」とは何でしょうか。
きょうの日めくり短歌は「米百俵の日」にちなみ、「米百俵」の由来と米を詠んだ短歌をご紹介します。
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米百俵の日
6月15日は米百俵の日に制定されています。
「米百俵」(こめひゃっぴょう)というのは、幕末の長岡藩、今の新潟県のエピソードです。
そこから、新潟県長岡市が1996年制定をしたものです。
米百俵の精神とは
財政が窮乏した長岡藩に、三根山藩から百俵の米が贈られてきました。
通常ならそれを、民に分け与えるところですが、長岡藩の藩の大参事小林虎三郎は
百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と説諭。米を資金に学校を設立したのです。
「米百俵」の意味
「食えない時こそ教育が大切」「苦しい時こそ、人づくりが必要」
という教訓はそこから今に至るまで伝えられるところとなりました。
そこから「米百俵」という言葉が、「現在の辛抱が将来利益となる」訓戒となったのです。
これが米百俵の精神です。
その後、山本有三が戯曲化をして知られるようになり、近年では、小泉純一郎元総理が引用をしたことでも有名となりました。
さらに、「米百俵」は2001年の流行語大賞にも選ばれています。
米の短歌
「米百俵」にちなみ、米の短歌を思い出してみました。
まずは、万葉集より
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
有間皇子の有名な歌。
「飯」が米の飯かどうかはわかりませんが、葉の上にのせた飯」というと、白米のご飯が浮かびます。
稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ
東歌より作業歌。万葉集の稲つき歌の有名なものです。
娘さんが詠んだ恋の歌のようですが、稲つき、つまり脱穀の作業の時に、皆で歌われたものといわれています。
解説ページ
稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ 万葉集東歌
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る 有間皇子
次いで、近代短歌の米の歌
みちのくに米(よね)とぼしとぞ小夜ふけし電車のなかに父をしぞ思ふ
作者は斎藤茂吉。
山形県の郷里が米不足だと伝わってきて、ふるさとの父を思うという意味の歌です。
庄内平野はお米のおいしいところです。
米櫃に米のかすかに音するは白玉のごとはかなかりけり
作者は北原白秋
貧しかった妻との暮らしで、米が乏しくなってきたことを聴覚的にとらえ、心細い気持ちを表しています。
次いで、現代短歌より
蜩のこえは水色 うっとりと米びつのなかに指を忘れて
これからお米を研ごうとする夕暮れに、日暮らしの声が聞こえてくる。
「指を忘れて」は現代短歌ならではの言い回しでしょう。
鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい
作者は木下龍也さん。
「あれ」というのは言わずと知れたおにぎりですが、お米を味わうものは”あれ”を置いて他にありません。
きょうの日めくり短歌は「米百俵」にちなみ、お米の出てくる短歌をご紹介しました。
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