桐の葉も踏みわけ難くなりにけり必ず人を待つとなけれど
式子内親王の新古今和歌集に収録されている和歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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桐の葉も踏みわけ難くなりにけり必ず人を待つとなけれど
読み:きりのはも ふみわけがたく なりにけり かならずひとを まつとなけれど
作者と出典
式子内親王(しょくしないしんのう)
新古今集 秋歌下
現代語訳と意味
桐の葉も踏まなければ歩けないほど深く積もってしまった。もっとも人を待っているというわけではないのだけれども
語句と文法
桐の葉も…「も」は類例の係助詞。
[~も ~もまた]の他、強調の係助詞の使い方もある
「踏み分けがたく」品詞分解
基本形「踏む」の連用形+「分ける」連用形+形容詞の基本形「がたし」
「踏み分ける」は複合動詞
「なりにけり」の品詞分解
・「なり」断定の助動詞の連用形
・・「に」…完了の助動詞
・「ぬ」の連用形
・「けり」詠嘆の助動詞
「待つとなけれど」の品詞分解
・「待つと」…動詞「待つ」の連用形 格助詞
・「なけれど」…「なけれ」は形容詞「なし」のカリ活用
・「ど」…接続助詞
句切れと修辞
- 3句切れ
- 倒置
解説
式子内親王(しょくしないしんのう、または、「しきしないしんのう」ともいう)が詠んだ秋の歌。
「待つ」の相手は限定されていないが、男性であり恋愛の相手ともとれる。
一首の意味
秋の物がなしい季節で、家に至る道に落葉が積もっているのを見ながら、あるいは思っている相手が私を訪れてはくれないだろうか、という期待の気持ちを婉曲的に表すという、恋の屈折した心理を見事に表している。
約束をしたわけでもない、相手がそれほど私を思っているかもわからないが、もしかしたら来てくれるかもしれない。
そのような期待の気持ちを持ちながら、自らそれを打ち消そうと、気持ちの中での小さな戦いは、恋愛中の心理にこそふさわしい。
細切れの言葉の効果
桐の葉の落葉をおいて、秋という季節の深まりを最初に提示する。
2句と3句は、「踏み分けがたい」状況を7音+5音、計12音の長さとなっており、歩きにくい道の長さとそこを歩む時間の長さを髣髴とさせる。
「ふみ+わけ+がたく+なり+に+けり」の、細切れの言葉のある種のたどたどしさが、切りの葉の細切れモザイク状の風景とも、下句の「必ず」以下の逡巡に通じるものともなるだろう。
「待つとなけれど」の婉曲
意味は、「必ずしも人を待つというわけではないのだが」というものだが、二重の否定がある。
「必ず…ど」は、「必ずではない」。さらに、「待つとなけれど」で「待つのでもない」ということになり、結句は、動詞や助動詞の終止形ではなく、「ど」でとどめている。
まるで口ごもったかのような、言い止めた感じの余韻が相手を待つような、待つとは言いたくないような、理性的な制御が難しい、恋心を表している。
塚本邦雄の一首評
塚本邦雄の解説だと、一首の意味は
「待つ」という言葉は既に、恋の趣があり「人を待つ」楢昭信に入れておくのは無理なくらいです。(中略)「待つとなけれど」と言っているので、これは恋歌の常道です、婉曲話法の一典型です。だから、「恋」の部に入れた方が良いとも思います。「新古今歌人列伝」より
式子内親王の歌人解説
式子内親王(しょくしないしんのう、または、「しきしないしんのう」
久安5年(1149年) - 建仁元年1月25
日(1201年3月1日) 日本の皇族。賀茂斎院。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。後白河天皇の第3皇女。
和歌を藤原俊成に学び,憂愁に満ち,情熱を内に秘めた気品の高い作品を残した。
百人一首に採られた、以下の歌がもっとも有名。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする/式子内親王百人一首解説