万葉集の冬の和歌、有名でよく知られたものにはどのようなものがあるでしょうか。
和歌を通して、万葉の時代の風物を知ることができます。冬を表す雪や霜と合わせて冬の歌を一覧にまとめます。
万葉集の冬の和歌
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万葉集の冬の和歌の代表作品と、その他の有名な和歌をご紹介していきます。
下のカテゴリーの短歌も合わせてご覧ください
冬の短歌は
冬の有名な短歌 近代~現代短歌より 寺山修司,高野公彦,佐佐木幸綱,俵万智,穂村弘他
万葉集の最も有名な冬の歌、まず最初に代表的な作品5首をご紹介します。
わが背子と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪の嬉しからまし
読み:わがせこと ふたりみませば いくばくか このふるゆきの うれしからまし
作者:光明皇后
現代語訳:
夫と共にこの雪を見たら、どんなにか雪も喜ばしくうれしいことであろうに
解説
光明皇后の有名な歌。
夫の留守の心境で、はかない雪に夫を乞う気持ちが表されます。
詳しい解説記事はこちら
わが背子と二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし『万葉集』光明皇后
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
読み:あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと
作者
大伴家持 1-48
現代語訳
新しい年の初めの初春の今日降る雪のように、積もれよ、良いことよ
解説
大伴家持による賀歌、つまり新年のお祝いの歌です。部下たちの前で、元旦の宴会で披露されました。
雪を詠っているようですが、自分の統治する世が長く続くようにとの気持ちも込められています。
これは万葉集の最後の作品です。
大伴家持関連記事;
大伴家持『万葉集』の代表作短歌・和歌一覧
わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後
読み:わがさとに おおゆきふれり おおはらの ふりにしさとに ふらまくはのち
作者
天武天皇 2-103
現代語訳
私の里には大雪が降り積もったよ あなたの居る大原の古びた里に雪が降るのはまだこの後だろう
解説
天武天皇が、里下りをしていた藤原夫人にたまわった歌。
ありのままの歌ですが、「大雪降れり-大原の古りにし」に続く「降らまく」と、同音反復の工夫が見られます。
小竹が葉のさやぐ霜夜に七重へ着る衣にませる子ろが肌はも
読み:ささがはの さやぐしもよに ななえかる ころもにませる ころがはだは(わ)も
作者
防人 20-4431
現代語訳
笹の葉に冬の風が吹きわたって音するような、寒い霜夜に、七重もかさねて着る衣の暖かさよりも、恋しい女の肌の方が温かい
解説
防人が離れた恋人、または妻を思って歌う歌です。
上句、「ささがはの さやぐ しもよ」のサ行のかすれるような連続は、まるで七重に重ねた、着物の衣擦れを聞くような感じです。
旅人の宿りせむ野に霜降らば吾が子羽ぐくめ天の鶴群
読み:たびびとの やどりせんのに しもふらば わがこはぐくめ あめのたづむら
作者と出典
遣唐使随員の母 9-1791
現代語訳
旅をする人が野宿する野に霜がふるほど寒くなったら、空飛ぶ鶴の群れよ天から降りて私の子を包んで守ってやってください
解説
遣唐使に子を出した母の歌。難波の港の出立の時に贈られたといいます。
必ずしも冬とは限りませんが、「霜ふらば」はもちろん、羽のあたたかさで、寒さから守ってやってほしいということでしょう。
そこから転じて、寒さだけではなく、海を渡る子の旅の無事を深く願う表現が、読む人の胸を打ちます。
「天の鶴群」(あめのたづむら)という言葉は、岡野弘彦が自らの歌集のタイトルとしており、忘れられない言葉であり、歌の一つです。
以上、万葉集の冬の代表作の和歌ベスト5となる5首をあげました。
もちろん、他にも季節を冬とする歌はありますので、以下に、恋愛の歌と雪、それと霜を詠う和歌を続けてみてみましょう。
万葉集の冬の恋愛の短歌の特徴
万葉集の冬の短歌の中には、「雪が消える」という表現が、恋愛にかけられているものが多く見られます。
どのような共通項があるのか、実際に読んでみましょう。
一目見し人に恋ふらく天霧(あまぎらし)零(ふ)り来る雪の消(け)ぬべく念ほゆ
作者と出典: 作者不詳 万葉集巻12・2340
現代語訳:
一目見た人に恋をすると、空を曇らせて降ってくる雪が消え入りそうに思われるのだ
解説
この歌では消えそうな雪が、自分の恋に落ちた時の心の様子に例えられています。
降る雪の空に消ぬべく恋ふれども逢ふよしなしに月ぞ経にける
作者と出典: 作者不詳 10.2333
現代語訳:
降る雪が空に消えてしまうように、わが身が消えるほど恋しく思い続けているのだが、逢う手立てがなく、日月が立ってしまった
解説
降る雪の空に消ぬべく」は、降る雪が空に消えるように」の意味で、「身」は体のことですが、心身一如、これが心を表すということに注意しましょう。
道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹
作者と出典:聖武天皇 巻4.624
現代語訳:
道で逢って微笑みかけただけで降る雪が消えてしまうように恋しいと言う愛しい人よ
万葉集の冬の雪の短歌
他にも雪の短歌では 柿本人麻呂作が有名です。
梅の花が雪のように見えるというので、季節はもう春に近いかもしれません。
妹が家に雪かも降ると見るまでに幾許(ここだも)まがふ梅の花かも
作者と出典:柿本人麻呂 5.844
現代語訳:
愛しい人の家に雪が降っているのかと思うまでに、梅の花が散っている
淡雪のほどろほどろに降り敷けば平城の京し思ほゆるかも
作者
大伴旅人 巻8・一1639
現代語訳
淡雪が斑に積もっているのをみると、奈の都の雪景色を思いだすことだ
解説
都への望郷の念を詠った一首。雪の降る様子から、思い出す美しい都の姿をまぶたにうかべているのです。
万葉集の他の冬の雪の短歌
万葉集の他の雪の短歌をまとめておきます
わが岡のおかみに言いひて降らしめし雪きの摧し其処に散りけむ 〔巻二・一〇四〕 藤原夫人
ふる雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の塞なさまくに 〔巻二・二〇三〕 穂積皇子
矢釣山木立こだちも見みえず降り乱みだる雪に驟く朝たぬしも 〔巻三・二六二〕 柿本人麻呂
一目見し人に恋ふらく天霧(あまぎらし)零(ふ)り来る雪の消(け)ぬべく念ほゆ(巻十・二三四〇)
かくしてやなほや老いなむみ雪ふる大あらき野の小竹(しぬ)にあらなくに(巻七・一三四九)
おほくちの真神(まがみ)の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに 〔巻八・一六三六〕 舎人娘子
棚霧(たなぎらひ)雪も降らぬか梅の花咲かぬが代(し)ろに添へてだに見む(巻八・一六四二)
みけむかふ南淵山の巌(いはほ)には落(ふ)れる斑雪(はだれ)か消え残りたる 〔巻九・一七〇九〕 柿本人麿歌集
あしひきの山かも高かき巻向(まきむく)の岸の子松(こまつ)にみ雪降り来る 〔巻十・二三一三〕 柿本人麿歌集
まきむくの檜原もいまだ雲ゐねば子松が末(うれ)ゆ沫雪(あわゆき)流る 〔巻十・二三一四〕 柿本人麿歌集
あしきの山道も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 〔巻十・二三一五〕 柿本人麿歌集
吾が背子を今か今かと出で見みれば沫雪ふれり庭もほどろに 〔巻十・二三二三〕 作者不詳
つくばねに雪かも降らる否(いな)をかも愛しき児ろが布にぬ乾ほさるかも 〔巻十四・三三五一〕 東歌
ふる雪の白髪までに大君に仕つかへまつれば貴くもあるか 〔巻十七・三九二二〕 橘諸兄
めひの野の薄きおし靡(な)べ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ 〔巻十七・四〇一六〕 高市黒人
ゆきの上うへに照れる月夜(つくよ)に梅の花折りて贈む愛しき児もがも 〔巻十八・四一三四〕 大伴家持
この雪の消のこる時にいざ行ゆかな山橘の実の照るも見む 〔巻十九・四二二六〕 大伴家持
ふる雪を腰になづみて参り来し験しもあるか年のはじめに(巻十九・四二三〇)
御苑生(みそのふ)の竹の林に鶯はしば鳴きにしを雪は降りつつ(巻十九・四二八六)
万葉集の冬の霜の和歌
以下は、万葉集の霜の短歌をまとめておきます
ひさかたの天の露霜置きにけり宅なる人も待ち恋ひぬらむ(巻四・六五一)
葦行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ 〔巻一・六四〕 志貴皇子
在りつつも君をば待たむうち靡く吾が黒髪に霜の置くまでに (巻一・八七)
さを鹿の妻喚ぶ山の岳辺なる早田は苅らじ霜は零るとも 〔巻十・二二二〇〕 作者不詳
わが背子を今か今かと出いで見みれば沫雪ふれり庭もほどろに 〔巻十・二三二三〕 作者不詳
夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり(巻十・二三一八)
はなはだも夜深けてな行き道の辺の五百小竹が上に霜の降る夜よを 〔巻十・二三三六〕 作者不詳
行けど行けど逢はぬ妹ゆゑひさかたの天の露霜に濡れにけるかも 〔巻十一・二三九五〕 柿本人麿歌集
以上、万葉集の冬と、雪、霜に関する和歌の代表的案作品を一覧にまとめました。