志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月 藤原家隆 本歌取りの和歌  

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志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月 藤原家隆 本歌取りの和歌

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志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月 本歌は「さ夜更くるままにみぎはや凍るらむ遠ざかりゆく志賀の浦波」の藤原家隆の和歌の現代語訳と解説・鑑賞を記します。

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志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月

現代語での読み: しがのうらや とおざかりゆくなみまより こおりていずる ありあけのつき

作者と出典

藤原家隆 (新古639 冬)

同じ作者の和歌
風そよぐ楢の小川の夕暮は禊ぞ夏のしるしなりける 百人一首98 藤原家隆

現代語訳と意味

志賀の浦を遠ざかっていくと、夜が更けて沖へ遠ざかってゆく波のの間から、その波間から冷たい光を放つ夜明けの月が見える

 

一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です

句切れと修辞法

  • 初句切れ・字余り
  • 体言止め
  • 比喩

語句の意味

・志賀の浦…大津付近の琵琶湖畔のこと

・遠ざかりゆく…湖が凍ると、水波打ち際の水が後退する現象

・凍りて出づる…比喩表現

解説

古今和歌集の藤原家隆の代表的な作品の一つ。

「摂政太政大臣家の歌合に、湖上冬月」の詞書がある。

「凍りて出づる」

この歌の眼目は、「凍りて出づる」であるが、「月が凍るような」の比喩が省略されて表現されている。

実際に凍るのは、琵琶湖の水面の方で、表面が凍ると、水際の水が後退する現象がみられるため、それを「遠ざかりゆく」と擬人的に表現した。

作者は、湖のほとりでこれを眺めたという構図になる。

湖が凍るような冷気の中で、湖の向こうに見える月も、冬のさえた空気の中で冷たい光を放つ情景を詠んだ。

本歌取りにした歌

この歌は、「さ夜更くるままにみぎはや凍るらむ遠ざかりゆく志賀の浦波」(後拾遺集419、快覚法師)を本歌として詠まれたとされる。

意味は、「夜が更けていくと、凍った水際が沖へ引き下がっていく、その志賀の浦波よ」というもので、ここで、「遠ざかりゆく」の擬人的な表現が用いられている。

家隆はそれを本歌として、その情景にさらに月を加えた。

さらに、月の方に「凍りて出づる」の修辞を加えて、一層すぐれた歌となっているといえる。

この和歌の特徴「幽玄」

家隆は、幽玄な叙景歌を得意とし、本歌は、「幽玄」を提唱した藤原俊成によって「幽玄」の歌とされている。

藤原家隆の新古今集の他の歌

霞たつ末の松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空(新古37)
梅が香に昔をとへば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(新古45)
思ふどちそこともいはず行き暮れぬ花の宿かせ野べの鶯(新古82)
下紅葉かつ散る山の夕時雨ぬれてやひとり鹿のなくらむ(新古437)
むしの音もながき夜あかぬ故郷になほ思ひそふ松風ぞふく(新古473)
滝の音松の嵐もなれぬればうちぬるほどの夢はみせけり(新古1624)
おほかたの秋の寝ざめの長き夜も君をぞ祈る身を思ふとて(新古1760)
和歌の浦やおきつしほあひにうかび出づるあはれ我が身のよるべ知らせよ(新古1761)
その山とちぎらぬ月も秋風もすすむる袖に露こぼれつつ(新古1762)

藤原家隆について

ふじわらのいえたか 1158-1237 鎌倉時代前期の公卿、歌人。「かりゅう」とも読む。幼名、雅隆。、権中納言光隆の子。宮内卿を経て、非参議従二位。和歌を藤原俊成に学んだ。『新古今和歌集』撰者の一人で、43首入集。




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